2010年10月31日日曜日

うどん

珍しく今日は11時から町にでた!
一歩前進。

「今ある環境を最大限に生かそう計画!」
ちょっとづつだけど進行中。
まぁヨーロッパでは当たり前にできてたことなんだけどね。

昼ごはんは情報ノートに載ってた中華街で食べられるうどんを食べに行った。
その名も
「Sopa de Udon」
直訳すると「うどんのスープ」ですね。

うどんで汁も含まれてると思うんだけどな。。。。

宿から中華街までは歩いて大体5分くらいだった。
あのどこにでもある中華門。
横浜にも、サンフランシスコにも、中国にもある中華門。
なんだかちょっとだけホームな感じがして好きだな。
あ、でも「CHINO!」と言われたら全力で否定しますが(笑)


地図をメモってこなかったのと、自分の記憶があいまいなのと、看板が大きくないのとで、中華街を30分くらい彷徨った。
なんで中華街っていつも同じ臭いがするんだろう。
結構好きだけどね!

肝心のうどん。


なんだかかまぼこやら玉子焼きやらが浮かんでましてー
麺はなんか違ってましてー
でも食べてみるとー

うまい!

日本を離れてるからなのか、マジでうまいかはわからないけれど、今の俺にはおいしかった。

大福もありましたー

食べ終わって、フラフラ歩いているとバスターミナル的な場所に到着。
またもうる覚えの、あんまりよろしくないバス会社「FLORES」は避け、クスコへのバス会社めぐり。

ただ値段を聞くだけだったはずが、
いつの間にか明日(31日)発のチケットを買ってしまった。しかも特に安くもない。
リマ→クスコ90/s 所要24時間(予定)
だってー
安すぎるのはよくないって聞いてたからこれくらいで良しとしよう!

ってことで、リマ滞在は3日になりました。
ペルーは本当にあっという間に抜けてしまうかも・・・
それも旅だよね。

そこからさらに南下し、海岸沿いにあるショッピングモール的なところへ行くのにバスに乗車~

どこで降りようか我らの「歩き方」を見ていると後ろから声が
「kj:@:あ。」。」@z?」
「え?なんだって?」
「ラルコ・マルに行きたいんでしょ?(スペイン語)」
「は、はい」
「ここの突き当たりだから」
って
オカマが教えてくれた。
しかも近くになったら教えてくれた。
オカマってどこの国でもやさしいイメージはペルーでも健在だった。


ラルコ・マルに到着!
なんとなく東京のお台場みたいな感じ。
なんとなくロサンゼルスのサンタモニカみたいな感じ。
じゃあお台場はサンタモニカみたいな感じ?
いや、違うな。
数式じゃないんだし、=が成り立たなくなっていーんだ。(←このごろRADWIMPSの”おしゃかしゃま”にはまってます。)

スターバックス発見!
3秒迷って、突入。

このさ、日本にあるもの見つけるとすぐ入る癖やめたほうがいいよ!
って天使に言われて
我慢なんかするもんじゃない
って自分に言わせて。
いつまでたっても変わらない自分。
そりゃそうだ、だって自分で変えようと思ってないんだもんwwww

スタバのフkフkのソファに座って、ゆっくりしていると眠気が・・・

気づいたら1時間経ってた。
シエスタだよ!別に昼寝じゃない。

日本のお台場ですからー、ゲーセンもあります。
ちょっと行ってみた。

日本のゲームばっかりだった。
しかも説明が日本語wwww
俺、今まで日本と言ったら
「トヨタ、日産、ソニー、パナソニック」って思ってたけれど、すごく大事なコンテンツを忘れてた。
日本のゲームはすごいよ。
「セガ、コナミ」
よく考えてみれば任天堂もそうだよね。
日本のソフトパワーは強力だなって思った!

リマにはたくさんカジノがあるんだけど、スロットばっかりで日本のパチンコ屋にしか見えないから行くのはやめた。

またプラプラ歩いてるとショッピングモールを発見。
そこでタダ酒配ってた!
タダなら飲むよね。

列に並んで、ソッコー入手!
お味は・・・・


まずい。
ビールをあま~くした感じ。でも苦味は消えきってない。
どうしたんだろうね。って味。

口直しをしようと思って歩いてたら、いつの間にかホテルまで帰ってきてしまったー

夜ご飯食べてないよ~
なに食べようかな?

2010年10月30日土曜日

やっとリマ

さぁ、リマに行くぞ!
と心に決め、朝6時まだ暗いなかペンションアミーゴを出る。

約2週間一緒に回ったシゲさん、シゲルさん、そして三郎さんとお別れ。
でもモンテレーのときのように悲しくはなかった。
やっぱりみんな旅人だからかな?
それとも最後にちゃんと面と向かって「さようなら」言わなかったからかな?

もうみんなに会えないかもしれない、
けれどいつまでも繋がっているような気がする。
気だけかもしれないけれど、俺の思い出に何回も出てくるんだから繋がってるんだよね。

なんて考え事してたら、あっという間に空港に着いた。
どこの国も空港はきれい。(少なくとも俺の行った国では)

早速キャンセル待ちリストに名前を載せてもらう。

ここから長い戦い。
乗れるか乗れないかわかるまで約8時間。
「長いな~」
なんて愚痴ってインターネットしてたらすぐだった。

もちろん搭乗します。

メキシコも楽しかった。
メキシコが楽しかった。
アメリカも楽しかった。

俺の北米旅は出会いのてんこ盛りだった。

楽しかったな、北米。
もう一回だけ帰ってきます。


フライトではほとんど寝てた。

アミーゴでは危ないと噂だったリマ。
ちょいビビりで空港に降り立つと、なんてことない俺と同じサイズのバックを持った人がわんさかいる。

「俺が泥棒だったら、違う人を狙うな」
なんて他人事のように、みんなを見ていた。

空港を出たらすぐに身分証を首から提げたタクシードライバーに声をかけられた。

セントロまで70/s
今思うととっても高かった。でも安全料ってことで。
金で解決できる日本人の強みだよね。

ぼられてません。
ただ
値引きを怠っただけです(笑)

肝心のリマの治安だけど、そんなに悪いようには思わない。
警察官もたくさんいるし、地元の人もたくさん歩いてる。
俺より金持ちそうな人がたくさん。

旅行者ってことで狙われるかもしれないけど、明らかに金なさそうな格好だからあんまり狙わないじゃないかな?
どうだろう?
一回泥棒と話してみたいな。
新しい防犯対策ができるかもしれない。

今日は昼間リマの町を散策。
間違えた
宿周辺を散策。

なんだかなぁ
「はい、ここがリマですか」
って感じ。
特に変わった習慣とかないし。

さっさとクスコに移動しようかなって思ったくらいかな?

お昼寝してー
夜も街に出ました。

久しぶりの夜景散策。
いつぶりかな?
ロスぶりだな

ロスの時は怖かったなー
だってあれ11時回ってたし、人が全然歩いてなかったし
警察官みたときホッとしたっけ。

リマの町はライトアップとかしてあってキレイだ。
メヒコシティもそうだったのかもしれないけれど、日が暮れてから全然出てなかったから知らない。

まだ気の合う人にあってない。
このまま会わなかったら、久しぶりに超特急な旅になっちゃうかもな(笑)

2010年10月28日木曜日

さよなら、北米。また会いましょう

北米大陸もついに最終日!

明日には南米大陸ペルーへ。
約束の地マナウスもだんだん見えてきた。

アジアからビュ~とロスに飛んできたのも、もう1ヶ月以上前。
早い。
早すぎる。
メキシコ15日間で出るはずだったのに、彼是1ヶ月も滞在してしまった。

いや、「滞在してしまった」っていう表現は違うな。
「滞在した。」だな。
だって俺の好きで長くいたんだもん。

アメリカでは、普通じゃできない体験をさせてもらって、
ティファナでは、たくさん飯おごってもらって、わざわざアメリカまで迎えに来てくれた。
モンテレーでは意思疎通のできない俺を歓迎してくれたし、
サカテカスでいろんな人と出会って、バカ騒ぎや、深い考えを共有できた。

こんなに充実してる日々って最高だなって思う。

旅っていつでも充実してるわけじゃないと思う。
やっぱりそれって人だと思う。

今回はたくさんの友達と今回出会った日本人。
かなりいい人に囲まれ続けた日々だった。

今までどんなにいい人に囲まれても最大2週間だった。
でも今回は1ヶ月と1週間。

こんなにいい人に囲まれるのはこの先ないかもしれないなって思うくらい最高の仲間だった。

今から、そんなみんなとお別れ会。

最高の思い出もうできてるけど、最後にもう一個作ってもいいよね?

2010年10月27日水曜日

アエロメヒコと人類学博物館

アエロメヒコのチケットが取れなかったので、韓国ショップに行こう!と韓国人のカンさんと、ルナと一緒に散歩へ。

ソナロッサって言うメヒコシティのオフィス街へ。

アエロメヒコ本店(と思われる)ところに到着。

まず、ティファナ→日本のチケットはなんの問題もなく発券完了。

メヒコ→ペルーのチケットがなかなか発券されない。

小一時間待たされたあげく。
「明日来てください」

早く言え。
30分の時点でいえなかったのか。

小一時間問い詰めたい。

二人に平謝りし、韓国ショップへ。

いろいろ韓国物が売ってたー
俺の好きなチャミスル(ソジュ)がなかったのは残念でしかたない。
二人はかなりうれしかったみたいで、結構買ってた。
そんな俺もそばとそばつゆを買って、ホテルに戻った。

そばはみんなで食べたいと思って15人前も買ったのに、汁が明らかに足らない。
まぁそんな文句言う人はいなかった。

みんなでワイワイ作って、みんなでワイワイ食べるのも楽しいなって思った。
10何人かいたんだけど、その中にイギリス人、スイス人が各一人ずついた。
彼らが箸をうまく使えなかったので俺が
「We are Native Chopsticker(私たちは箸を使う人々です)」
って言ったら、みんなに否定された。
なんでよ!
面白いからいいじゃん。
こんなことしているから、英語話す人にバカにされるんだけどね(笑)



日付は変わりました。
今日はカンさんが旅立つ日です。

やっぱり悲しいな。
でも先に進むためには必要ですよね~
きっと今残っている人たちともそんな日がくるんだよな。
はぁ・・・・

昼間はみんなで人類学博物館へー
こんな石像(?)がたくさんあります。

メヒコで一番大きい博物館らしいんだけど、やっぱりさっさと見終わった。
博物館ってダメだな。
全然面白くない。
ほとんど寝てた。

みんなでテクテク歩いて、宿に戻ってお昼寝~

今から夜食です。

2010年10月25日月曜日

メヒコ

昨日のティオティワカンに続きー
今日もがっつり観光!

11時に起床し、みんなとダラダラ話しながら昼食のカップ麺を食べる。

みんなに
「また、そんなこと言って今日も一日ゆっくりするんでしょー」

言われつつ
「別のところ行こうよ」

誘惑されつつ

メキシコシティの地下鉄路線図、一駅づつ絵があります。
でも俺は
「今日しかない!」
と思ってたので、メキシコシティ中心部を観光することに

一路地下鉄に乗りソカロへ

シティの中心ソカロ
やっぱり首都ということもあり、広い。
でもなんかのコンサートのあと片付けかなんか知らんけど、ステージが邪魔。
せっかくの首都のカテドラルがうまく見えなーい

まぁそれでも近くによると見れた。

やっぱり大きいカテドラル=教会
日曜日ってこともあって、中ではミサをやってたので、異教徒の俺は静かに息を殺して見学。

教会はヨーロッパの方が大きいし、あんまり見た目変わらないような気がする。

カテドラルの横の広場では出店やちょっとした出し物?っていうか大道芸をやってた。
この雰囲気好き。
日本にはないみんなでガヤガヤ感。
日本でもできないかな??

原住民族の踊りと思われる。

カテドラルの裏側の遺跡、テンプルマヨールへ

今日は日曜日だからメキシコ人は”タダ”
でも外人は有料。
学生とか関係なく有料。
メキシコの学生証持ってたら無料。
でも
もってなーい

メキシコシティでは日本の学生証からメキシコの学生証も作れるらしいけど、作らなかった。
作っておけばいろいろお得なんだけど、なんだかセコイような気がして。

宿にいるほかの人は作ってたりしてたんだけどね。
まぁいっか。

現地人無料or安い、外国人が有料って海外いるとたくさんある。
こんなときいつも思うのが
「ココにいる人たちより俺のほうが金持ってるんだからちょっとくらい多く払ってもしょうがない」

こうでも思わないと払ってられない。

肝心のテンプルマヨールですがー
混みすぎてて解説が見えなかったのと、スペイン語ならびに英語がわからないので、全く解説はない状態で見学しました。

途中面白い石像(?)や

スペイン人が来る前のメキシコシティの様子や


実は中国と交易してたとか

いろいろ勉強になった。
きっと言葉がわかればもっともっと勉強になるんだろうな。

あと、ここの博物館で目立ったのが来館者がノートを持ってて、いろんなことをメモってるということ。
大学生らしき人だけではなく、子供からおばさんまで。
日本の博物館で、スタンプラリーとかではなく、ノートを持ってそれをビッチリと埋めるくらいメモを取ってる人が何人いるだろうか。
俺は社会見学以外の人がやってる記憶はない。

メキシコ人は勉強熱心だなって思った。
本来博物館ってこれくらいの姿勢でくるべきだよね。
そうしたらどんな博物館の入館料だって高くないと思う。

日本に帰ったら、もっと勉強しよう。
俺は日本にいるときは本当に怠けてたんだなって思う。
与えられた環境をフルに生かさず、それに目も向けず、日本にないものを追い求めて旅にでた。

でも旅をして、いろんな日本人と話して、いろんな外人と話して
俺は日本のことをほとんど知らないなって思う。
日本でできることの50%もしてなかったんじゃないかって思う。
自主的に勉強する環境は整っているのに、その環境に囲まれてるだけで自分は勉強してるとか思ってるし
そもそも与えられた勉強さえろくにしない。
今持っているもの(=日本でできること)を利用して成長しようとするんじゃなくて、新しいもの(=海外旅行)にばっかり刺激を求めて。
自分のもっているものも生かせてないくせに、なにが新しいものだ
ってすごく思った。
帰国して、自分のできる勉強をたくさんしたいと思った。

勉強っていうとなんか堅苦しいけど、今の俺には全然そんなことない。
友達と話すための英語、スペイン語。
日本を紹介するための日本史
自分の国の将来を見るための政治、経済
世界の常識世界史。(←表面だけではない)
自分の好きな学問、経営。
いろんな現象、化学、物理。

勉強したいことがたくさんある。
知りたいことがたくさんある。

メキシコ人は確かに日本人より教育は良くないかもしれない。
でもその高くない教育の一番上をみんなが学ぼうと思っている集団と
教育自体は発達してて、より効率的に、より高度なことを学べるのに、そこを全然生かそうとしない集団
どっちのほうがバカかなって思った。


ちょっと話がそれましたー
またメキシコシティの話に戻します。

メキシコシティは危ないぞー
悪い子は襲われるぞー

って聞いてたけど、案外安全。でも全部じゃないし完全でもない。
注意は必要だけれど、外を歩けないほどではない。

から

テンプルマヨールからホテルまで歩いて帰ることにした。


途中大きな公園で出店がたくさん出てた。
やっぱり好きです、この感じ。

また少し歩くと台湾系の店があった。
そこで餅が売ってたのでちょっと高かったけれど、一個買ってみることに。

結構おいしかった。
懐かしかった。

で、
帰ってきて昼寝しながら、明日でるかどうするか検討中。
てか
迷ってる。

明日出たいけれど、全然メキシコシティを観光してない。
あ~~~どうしよう。
歩いてたらあった豪華な建物。郵便局でしたー

2010年10月24日日曜日

ティオティワカン

今日は久しぶりのガッツリ観光日!

前日から世界遺産「ティオティワカン」に行こう!って話にはなってたんだけど、結局みんな(俺か?)が起きるのが遅くて、昼過ぎに出発!

まず、メキシコシティのバスターミナルへ

今日は三郎さん、ブライアン、しげさん、誠さん、俺の5人で出かけたこともあり、楽しい楽しい。
誰かと観光するの楽しいね~

みんなでバスに乗り、ティオティワカンへ。
途中、歌い子(?)が乗車してきて10分くらい歌ってくれた。
なんとなく暇つぶしというか、いい気分になったので奮発して5ペソ!もあげた。

インドで会ったアツコさんが
「音楽に払うお金は惜しまなくてもいいじゃない?そのほうが楽しいよ」
って

確かに、音楽って聞こえてくるだけで楽しい気持ちになれたりする。
それに対してちょっとの金が惜しいからってケチるのは良くないなって思った。

1時間くらいでティオティワカンに到着。

何人かはメキシコの学生証を持ってたのでタダになってた。
いいな~
俺もメキシコの大学に行ったら取ろう。うん。

そうそう、今まで行った国は住みたいとかココで勉強したいとか、この言葉をしっかり話せるようになりたいとか思わなかったんだけど、
俺はメキシコなら留学してみたいなって思う。
もちろん、良い友人がたくさんいるのもあるのだろうけれど、俺はメキシコ人好きだな。
あとメキシコ料理も。

ティオティワカンの敷地内に入ると早速、見えました。
ピラミッド。

世界で3番目にデカイピラミッドなんだってー
すごいねー

登ってみました。


これが見た感じ一番でかいピラミッドかな?
なぜかモルタルで修復されてるんだけど、スペイン人がなんも考えずやってしまったんだってー
面白い。
まぁ崩れるよりかはマシだけど。
人間の遺産ってことでいいのかな?

テクテク歩いて次のピラミッドへー(と言ってもピラミッドは2つだけ)

さぁ、みんな登ろう!ってなったら、みんな疲れてたみたい。
影に入って休憩。

10分くらいして、みんな行く感じじゃないから一人で登った。


結構キレイだったな。うん。

あとからみんなでも登りましたー

感想
これ、一人で来てたら残念スポットだったかも(笑)

俺のお気に入りの人形

2010年10月23日土曜日

やばいー

やっとメキシコシティに到着。

グアナファトでお別れのはずだった、シゲさん(EL CHINO)も一緒に来ました。

メキシコシティの治安が悪い悪いって聞いてて、臆病者の俺はかなりビビってたんだけど、意外に平気そう。
てかそんなに治安悪いの?って感じ。
でも油断したところをドロボーは来るので、用心用心。

で、今日はメキシコ人の友達に手配してもらった、チケットを取りにエアロメヒコのオフィスへ。

泊まってる宿から近いということもあり、午前中はダラダラすごし、2時過ぎにしゅっぱ~つ

って言っても5分で到着。
さっそく予約番号と、パスポートを預ける。

最初は名前を確認したり、パスポートを顔と見比べたり、順調だった。



「ちょっとあっちに座っていて」
と言われなにやら待たされる。

周りのスタッフも集まってきて、なにやら相談。
ボスも登場。
挙句のはてにはどっかに電話し始めた。

へ?
なんで?
ここでパスポート見せればいいはずでしょ?
と思いつつ
いつまで待たせるんだよ!って怒りを抑えて待っていた。

30分くらい待たされたところで、「ちょっと来い」と

「なぜかわからないど、今あなたのチケットは発行できないわ。このチケットを手配した人に電話してみて。」

はい?
一瞬固まったが、まぁこんなことでもないとあんなに待たせないよなって変に納得して宿に帰還。

さっき友達にメール送ったけど、
来週の月曜日にリマ入りしようとしてたのは、もう絶望的だな。

あんまり遅れると、ブラジルの友達の所まで行けなくなってしまう。

やばいー

2010年10月20日水曜日

グアナファト パート2

今日はグアナファト二日目。

早速、観光してみた。

まずは、町を一望できる丘へ


これが意外にきれい。
あ、意外でもないか(笑)

この町も小さい町で、多分2日もあればほとんど見て回れるかなって思う。

見所?というか、自分が見たいなって所もここだけ。

30分くらい頂上でダ~ラダラ

ケーブルカーで下山(ちなみに登山もケーブルカー)

このケーブルカー、「フニクラ」といいます。カワイイでしょ?

それから、町歩き続行。

コロニアルな感じでてます~
中世ヨーロッパみたいです~

でも

ヨーロッパの町の方が中世ヨーロッパっぽい(←え?)


なんとなく、短いんで

「の順番で好き」コーナー

今日のお題は
「母親の飯」

君!マザコンって言うな。

1位から揚げ
2位わかめと豆腐の味噌汁
3位串揚げ
4位弁当

あ~
日本食とかどーでもいいから、いつもの母親の飯が食べたい。

世界中誰だって、母親の飯が一番好きでしょ?

2010年10月19日火曜日

Festival in Guanajuato

姉さん
グアナファトは今お祭りです。

なんですが、
そんなことよりこの町の雰囲気が好きだー

はい、こんな感じ

サカテカスなんかよりコロニアルな感じ。
我らの「歩き方」にはおとぎの国のような町並みって書いてありますが、

全然違う(笑)

むしろまるでヨーロッパの町並みのようだって感じ。
そもそもおとぎの国ってナンだよ!!

で、今祭りです。
どこで祭りって?
町全体で祭り

歩いてると広場でなんかやってる
劇だったり


大道芸だったり


練り歩いてたり


夜でも人がたくさんでてて、
屋台もたくさん出てて楽しくてしかたねぇ

とかいいつつ
10時にはホテルに戻ってきました。

おやすみ

グアナファト

なぜか朝3amくらいに起きてしまって、それから同室のしげさん(EL CHINO)と夜明けまで会談。

まぁいい話ができました。いつもだけど。
このごろ思うのは、年上と一緒にいるとかなり勉強になる。
正直リラックス面では同世代のほうがいいけど・・・

9時には6泊もした(マジ予定外)サカテカスのユースともおさらば。
長かったな~
長かったのにモンテレーショックは未だに完治してない。
なんだこの空虚感。
だれとどんなに話しても、騒いでも、寝ても、考えても、全然モヤモヤが晴れない。

なんだこれ?

しげさんと一緒にグアナファトへ

しげさんにぜ~んぶやってもらった。チケット買うのも乗り換えるのも。
人にやってもらえる楽さ加減と自分でやらない「悪いなぁ~」って気持ちと
兼ね備えながら・・・

全部寝てたwwww

レオンで乗り換えてからグアナファトまではいろいろ話してたけれど。
ごめんなさん。

さて、
グアナファトに到着したわけなんですがー


・・
・・・

!!

お、見たことアルやつが歩いてアルよ。
そう、それはまさにサカテカスで会った韓国人(日本語ペラペラ)のカンさん(とオーストラリア人の友人)だった!

やっぱりあるんだよね。
世界は狭いんだよね。
まぁルートが一緒だったら結構会うもんなんだけど。

彼らのホテルの情報をもらいながらも、我らの「地球の迷い歩き方」に載っているホテルへ。

なんやらいろいろぐちゃぐちゃペラペラ言ってきて180→150ペソになった!
しかもなぜかダブル(ひとりあたり)=ドミ(ひとりあたり)だったので、しげさんとルームシェア


恒例の町歩きへ。

俺たちとにかく腹減った(Tengo hambre)ので食べ物を探すことに。
まぁ結構簡単に見つかって、実食。

うまい。
俺メキシコ料理好きだわ。

1位日本(越えられない壁)2位中国、3位メキシコ、4位アメリカの順番で好き。
ご飯大好き。

しげさんといろいろ話しながら歩きながら食べてると広場で、サイレントショー(?)をやってた。
老若男女ゲラゲラ笑っててなんだか広場全体が幸せそうだったな~

俺、グアナファト好きだわ。

1位東京(越えられない壁)2位リスボン、3位グアナファト、4位コルカタの順番で好き。
地下鉄大好き。

2010年10月15日金曜日

ZACATECAS

涙の別れからたった6時間。
もう違う町についてしまった。

なんだかモンテレーのあの別れが夢だったみたいに・・・

着いた町サカテカスは世界遺産にも登録されているコロニアルシティー
俺が好きなカラフルな色を使った家がたくさんある町だ。

これから三つほどコロニアルな町を経由して、メキシコのゴールメキシコシティへ向かう。(予定)

バスターミナルについてもタクシーの客引きは全く来ない。
逆にバスの乗り方を教えてくれるくらいだ。

まずは町の中心「カテドラル(と呼ばれる教会)」へ行くことに。

外を見ていれば大丈夫だろう!と思ったのは間違えだった。全くどこになにがあるかわからない。
少し不安になり、バスに乗り合わせていた女学生に声をかけると
「あたしたちも同じところで降りるから案内するよ」
と、
もう女神でした。

その女学生たちに案内してもらいまず町の中心へ。
そこから「歩き方」に載っているユースホステルに向かう。

全然難しくない。すぐ見つかった。

ドミで1泊80ペソ(560円)といい値段だ。
ユースはほとんどはずれないので、即決。

ロッカーもあってWIFI無料だし、キッチンもある。

モンテレーのショックを癒すのには最適の場所だ。

2010年10月13日水曜日

涙の訳は

5泊もさせてもらったモンテレーとも今日でてきた。

友人の家族はみんな面白いし、いきなり訪ねてきた異邦人を快く迎え入れてくれた。

友人とその彼氏は毎日どこかに連れてってくれた。
たくさんの友人を紹介してくれた。
でも、
名前を全然覚えてない。すいません。

モンテレーはあんまり観光するような町ではない。

「地球の歩き方」にはたった2ページしかない。
モンテレーに来る前は2日くらいあればいいかなって思った。

でも
「今日は博物館」
「明日は動物園」
・・・
友人とその家族は毎日いろんなところに連れてってくれた。

そして、口癖(?)は

「腹減ってないか?」

朝ご飯を10時に食べて
1時には「腹減ってないか?」
お昼寝して5時に起きて「腹減ってないか?」
5時にも食べたのに9時から「ご飯食べに行くぞ。」


はい。
インドで奪われた体重をかなり取り戻せたと思う。

俺が「タコス大好きです」
というと

一日全部タコス。

おばあちゃんは、ミサンガをくれた。
いつもおばあちゃんは冗談ばっかりだったけど、スゲェ面白かった。

そして
今朝ついにモンテレーを後にする日が来た。

こんなに出たくないって思ったの初めてだった。
本当に嫌だったけれど、いつまでも友人の家族のすねをかじってるわけにも行かない。

前夜は友人やその兄弟たちがいろいろ音楽とか、絵とか自分の好きなものをくれた。
本当にうれしかった。

お母さんは、俺に当たり前のように
「で、いつ帰ってくるの?」
と聞いてくれた。
5ヶ月も家族から離れてたけど、友人の家族の一員にしてもらったみたいですごくうれしかった。

前日は
「あたし、大学あって行けないから~」
とか言ってた友人もバスターミナルまで見送りに来てくれた。

バスは定刻どおりに出発した。

別れはいつもどおりだった。
いつもの別れだった。

でもやっぱり違った。

バスからモンテレーの町を見ていると、自然と涙が出てきた。
最後に泣いたのはいつだっけ?
もう忘れた。
涙ってこうやってでるんだな~とか思った。

この旅で、いや自分の人生の中でかなり充実した日々だった。
幸せな日々だった。

でも
また戻る。
日本に帰る前に絶対モンテレーに戻るんだ。

2010年10月7日木曜日

Monterrey

チワワ太平洋鉄道の終点、チワワから夜行バスに乗った。

メキシコの夜行バスの中では映画がやっていて結構面白い。

今回の映画は「J.Iジョ~」だった。
スペイン語全くわからないけれど、アクションもののアメリカものだから簡単♪
誰が敵で誰が味方か一発でわかる!
さすがアメリカ映画!

なんて、いろいろ見てたらいつの間にか眠ってしまった・・・・


「ヘイ!ハポネス!」
運転手のスペイン語で起こされた。
いつの間にかモンテレーに到着していたらしい。
周りを見渡すとほぼ満席だったはずなのにもう誰一人として乗客はいなかった。

バスを降りると、最後の荷物=俺のバックパックを出してくれていた。

「ありがとう」と一言いい、荷物を受け取り出口へ。

あ、そういえばモンテレーの友達って会ったことないや。
顔わかんねぇ、どうしよう・・・・

「ナオサンデスカ?」
出口のすぐそばの女の子が声をかけてきた。
はい、感動。
まず友達に会えたことに感動、そして日本語で声をかけてくれたことに感動。
さらに!
友達のお母さんと、おばあちゃんまで一緒にきてくれている!

スペイン語ができない俺はひたすら
「グラシアス(ありがとう)」
としか言えなかった。
言葉を知らなくてあんなにもどかしかったのは初めてだったかもしれない。

お母さんの車に乗り、一路友達宅へ。

友達宅は親戚みんなで住んでいるみたいで、次々おじさんやら、おばさんやら従兄弟やら、兄弟やら
たくさん親戚がでてくる。
まったく名前を覚えられない・・・・
でもみんな俺の名前を知ってる。
「ナオ、ナオ」
家族の一員のように扱ってくれるのが嬉しくてたまらなかった。

軽く朝ごはんを食べ、まずは就寝。


12時くらいになるとおばあちゃんが、一枚の紙を持って俺のところに来た。
「HAVE YOU HUNGRY?」
おばあちゃんはもちろんスペイン語しか話さないんだけれど、俺に気を使っていろいろ調べてくれたらしい。

はい。もちろん頂きます。

「OK. Nikkori!」
ニッコリ?なんだそれ、面白そうな食べ物だな~と思い隣の母屋へついて行く。

なにやらおばあちゃんが準備をし始め、外へ出る。
近くのお店で買うのかな?
と思い、寝巻きのままおばあちゃんに付いていく。

しかし、なにやらおばあちゃんはタクシーを拾い始めた。
ここで気づいた。
”近くではないらしい”

言われるままタクシーに乗り、モンテレーも町を爆走。

着いたところは、立派なショッピングモールの一角。
明らかにおばあちゃんと俺の格好が周りから浮いてる。
あそこにおばあちゃんいなかったら俺恥ずかしさで帰国を検討してたわwwww

おばあちゃんが、「あれ、あれ」と指を指す。
そちらに目を向けるとそこには・・・・

JAPANESE RIESTRANTE
NIKKORI

あ~~
ニッコリってお店の名前だったんだ。
しかも俺がスペイン語わからないと思って、わざわざ日本食レストランに連れてきてくれたらしい。
なにこの接待。
嬉しすぎるんですけど、全場面で。

しか~し
おばあちゃんの配慮空しく、メニューはほとんどスペイン語。
なにが書いてあるか、ほとんど把握できなかったがメニューの端に救いの単語が

TORIMESHI

鳥飯!
これはわかる!

おばあちゃんにそう伝えると、「それだけでいいのか?えびの寿司も食べろ」とそれも注文してくれた。

なぜか持ち帰りし、家でおばあちゃんと友達の甥2歳と一緒にランチ。
なんかうまかった。


鳥飯じゃなくて、その心意気が。

2010年10月6日水曜日

チワワ太平洋鉄道

ティファナの友人に別れを告げ、目指すはロスモチス!
さぁがんばるぞ!19時間の長旅だ・・・・

の前に、
俺にはやらなくてはいけないことがあった。それは、
メキシコの入国スタンプをもらうこと!
これをしないと本当に不法入国になってしまう。

いろいろネットで調べた結果、バスターミナルでできることになってる。
でもその情報ってのが最新で2004年。
どんだけ古いんだ。。。他の情報は国境でちゃんとスタンプをもらってる。

このビザ情報をはじめとした国境情報ってかなり変わりやすいから1年前の情報でも今はわからないってことが多いのに、最新が6年前か・・・

一抹の不安を抱えたままバスターミナルへ。

はい、まずはチケットを買います。
うまく買えました。てか友人が全部やってくれました。はい。

次ー
これが本題なんだ俺には!
友人にそれを伝えると

「あ~こっちこっち」

観光案内所みたいなとこに連れてかれる。
かなり小さい。
(本当にここで大丈夫なのか・・・)

係りの人がトイレか買出しに行ってて今は閉まってるらしいってことで目の前で待機。

かれこれ15分ほど待って係りの人到着。(早い!って思ったのはインドを経験してるから)

俺「あの~パスポートのスタンプ欲しいんですけどぉ~」
イミグレ「はい、はい。ちょっとパスポート貸して」
俺、渡す。
なにやら友人と話している。

。。
。。。
イミグレ「はい、ここにサインして」
俺、サインする。

はい、スタンプゲット~
しかも6ヶ月!当たり前のように6ヶ月!タコス好きだから6ヶ月~(←関係あるかもwww)

イミグレ「お金は銀行で払ってね~出国までに。」
また随分と長いスパンで猶予をくれるんだなこの国は。

心配ごとからも開放され、一路ロスモチスへ~



はい、着きましたロスモチス
まだ5時です。朝です。眠いです。
もちろんバスなんてやってないので、タクシー捕まえます。

そこから鉄道の駅へ~

ティファナから次に目指すはモンテレー
ここモンテレーも友人がいる。(でもメールだけ)
友人がいる国はなんとしても友人を訪ねたい願望があるので、西から東へメキシコ北部を思いっきり横断することになった。

で、なんで直で行かなかったか、
それはこれ

チワワ太平洋鉄道

に乗りたかったから。

なにもたいしたことはない、ただのメキシコ唯一の鉄道ってだけ。
でも途中の景色があの”グランドキャニオン”をしのぐらしい。

そんなこと聞いたらね、行くっきゃないよね、お父さん。
俺の旅の半分は親父の気持ちでできている。
親父の気持ちの半分は鉄道でできている。
ということは俺の旅の4分の1は鉄道でできている!!

はい、決定。

ってことで始発駅のロスモチス駅に到着した。

我らの「歩き方」だと、2等のほうが安いらしいってのを聞いてたので最初から2等狙いで行った。

チケットは問題なく購入。定刻の30分前には乗車が始まった。
各車両の入り口には係りが立っていて席を教えてくれる。
俺「ぼくの席はどこですか?」
係り「ウノ!」
はい、No1になりました。

そしていよいよ出発の時間!
さぁしゅっぱ~つ!

ってそんなうまくはいかないよね。
当たり前のごとく30分遅れて出発。

下調べして最初の3時間はただの平野だってことは知ってたのでひたすら爆睡。

起きてみると、もう山の中だった。
グランドキャニオンと比べるくらいだから砂漠地帯なのかと思ったら、全然違かった。

緑が生い茂ってた。
途中川とか橋とか谷とかとってもキレイだった!
やっぱり自然はアメリカ大陸デスネ。

日も傾いてきたところで、メインの見所「グランドキャニオンをしのぐって言われてるキャニオン」(正式名称を知らないだけ)に到着!

デケェ~
見渡す限りの渓谷。
緑が生い茂り、垂直になっている岩場多数。
一番下とかどこだかわからないくらい下。
(本当に文才がないな・・・・)

って感動して、電車に乗ったら緊張が解かれたのかすぐに爆睡。

気づいたら終点のチワワでした。

ここで一泊して、次の日にはモンテレーへ!

2010年10月3日日曜日

Welcome to T.J

はい、やってきました。

ティファナです!

ここティファナは俺の旅の6大目的地の一つ。
「メキシコ人の友人と会う」
場所。

もちろんそのメキシコ人とは事前に連絡を取っていた。

しかーし

バスが遅れる遅れる。
途中で事故があったみたいで4車線もあるアメリカのハイウェイがパンパン。
どこまでも続く車列・・・・

ってほどでもなく
約1時間ほど遅れての到着。

ちなみにメキシコ人もかな~り時間にアバウトな国民性みたいで2時間待たせてたはずが、「30分まえに着いた」とのこと。
気を使ってくれてるのか、マジなのかは全くわからない。

でも
無事に会えた~

3月でパリで再会の約束をして10月に再会。
約半年ぶり!

なんというか、もう何度もいろんな人と再会してきたけれどなんとなく彼とは違う。
だって彼は俺の旅史上最初の外国人の友達であり、一緒に観光した仲間。
いわば俺の出会いっていう旅の原点の人なのだ!

相手はそんなこと思ってなくても俺にとっては重要人物。
絶対会いにくる必要があったのだ!

そして二人で国境越え。
年間6千万人もココの国境を越えてるらしい。
スゲェ。
タイとラオスの国境とは全然違うな~

とここで、俺はイミグレに行かなきゃいけない。
なぜならここの国境はイミグレに行かなくても入国できてしまう、おかしな国境なのだ!
もちろん長期旅行者はイミグレ行ってスタンプもらわないと、怒られちゃう(はず)

なのに!

「大丈夫!大丈夫だから!ここはフリーエリアだから!」
「え!でも・・・」
「大丈夫!ティファナ出るときに手続きすればいいの!」
「あ、そうなの?」

でイミグレに行かずにメキシコ入国!

いろいろ調べたら確かにティファナ出るときでもいいらしい。(なにこのアバウトなルール)

そして入国して最初に向かったのは
タコスー
タコス屋!

タコス初挑戦!だったのだが
お味は・・・・

うまい。
うますぎる。
なんでこれを知らなかったんだろう。もったいない人生を歩んでいたかもって思った。(いや、これは言いすぎだけどね。)

次の日はティファナ観光!
って言ってもティファナはあんまり見るところがない。

大きな旗と観光通り(←勝手におれが名前をつけた)と海!へ
メキシコの大きい国旗
大きな旗は本当に大きかった!
風にゆっくりなびいてる姿が雄大で、やっぱりスケールの違いを実感。

海の近くにいくと、そこにはベルリンの壁のように続く壁が。
「あ、まだベルリンの壁残ってたのね」
って違くて
”アメリカとメキシコの国境”
でした。

でその壁にたくさんの十字架がかかってる。
「これはね、不法入国(無理やり壁を突破してメキシコからアメリカに行くこと)をして失敗した人の十字架だよ」
って
「写真撮る??」

撮らん。
あまりに不謹慎すぎる。

メキシコのダークな部分をちょっとだけ見たような気がした。

ここティファナアメリカ側ももちろん見えるんだけど、アメリカ側は意外になにもない。
荒野が広がってる。
変わってメキシコ側はデカイ町。だけど高いビルがあるわけでもなく2~3階建ての家が永遠広がっている。
なんか、どっちがいいのかな~って思った。

遠くに高層ビルが見えるアメリカと家族一緒に小さいながらも家を持ち暮らしている。

う~ん。
こんなことこれからも考えるんだろうな。

2010年10月1日金曜日

サンフランシスコ

ザイオン、ラスベガスと堪能した後は、サンフランシスコへ!

が、
このサンフランシスコ訪問、全く予定していなかった。
L.A滞在が10日と十分すぎるぐらいあったので、行くことになったのだが費用がかさむかさむ。
本当に友人の大事さを実感させられる日々だった。


サンフランシスコへはバスで移動。
正味8時間ほどで、到着。

これはロスにも言えることだけど、アメリカって治安がいい!
10時過ぎても人は出歩いてるし、24時間営業の店も結構ある。
マクドナルドをはじめとしたファーストフード店にセブンイレブンをはじめとした日本で言えばコンビニの部類に入る商店。
これらが開いてるとやっぱり街に活気というか、人間味が出て安全に思う。

さらに野良犬がいない!
これは大事なこと。
インドや東南アジアで夜間犬に囲まれた!って話を何回か聞いた。

なぜ犬を恐れるか。
それは、俺が犬が嫌いだから。

だけではない
発病すれば致死率100%の病気「狂犬病」

これは相当怖い。
年間5万人も世界で死者を出しているらしい。
でも噛まれてもすぐに病院に行って注射を何回か打ってもらえば治る病気なんだけど、だけどすぐ行かないと死んじゃうかもしれない怖い病気。


アメリカはその心配がほとんどない!

天国~

ホテルはネットで調べておいたユースホステル。
でも会員カードを忘れて一般客料金一泊29ドル
高すぎる。ここで2泊もしなくちゃいけない、というかカードがあればあと2ドルは安くなったのに。


次の日は一日観光。

5ドルの路面電車
そもそも何も調べて言ってないから、なにも見たいものがない。
これって俺のたびで一番損してるところだと思う。もうちょっと俺の行く先のルートに興味を持ち見たいものたくさんないと、本当にただの時間つぶしになっちゃう。
な~んて言っても今回はどうしようもないので、唯一知ってるゴールデンゲートブリッジに行くことに。

路面電車が走っているんだけど、一回乗るだけで5ドル。
バスも1.50ドルと観光客をぼる気満々なので歩いていくことに。

これが大失敗。

ここサンフランシスコは坂の町。
しかもかなり多い。

そんな街を歩こうっていうんだから相当の体力が必要だった。
しかし週末のハイキングや、もとから落ちてる体力の俺にはそんな元気はなく、遠くから橋が見えただけで大満足。

即行で公園に昼寝に行った。
やっぱり芝生の上で寝ると気持ちがいい!

そこからインドで出会った友人に会うために隣町へ。

「近いよ!」って言ってたのに・・・・
バスで1時間かかった。
まぁやることないからいっか。

ちょっと旅の話をして、晩飯おごってもらってバイバイ
これくらいがちょうどいい。
あんまりいろいろ紹介されてもねぇ

宿に戻っても話し相手も見つからず、疲れていて10時には寝てしまった。


翌日は昼のバスでロスに帰るので午前中だけ観光。

前日と同じく、やることがない。


う~~~ん


そんなとき目に入った
「JAPAN TOWN」
の文字

行くっきゃない!
俺のホームシックの溝を埋めてくれーーーー

高いバスに乗りすぐ到着。
朝早いということもあり閑散としていた。

しかし!

日本町という文字!日本語のフリーペーパー!そして日本の物ばかり取り扱っているスーパー!
最高。これを最高といわずして何を最高というんですが皆さん。

もちろんスーパーへ
メキシコ人の友人に酒を買おうか迷ったけど、やめた。高い。
の変わりに(?)お茶漬けの元を購入。
さすがにこれは食べたことがないだろう!と踏んだ。うぇって言わないことを祈ろう。

そして昼飯をここで購入!

なんとコンビニ弁当!コシヒカリ使用(←ここ重要、テストに出るかも)!

はい、食べた。
鮭の皮は残しました。姉ちゃんごめん!


うま~~~~~~い

文字サイズを大きくして

うま~~~~~~い

これがうまくなくして、何がうまい!
寿司よりなにより大学生には一番懐かしい味のはず!

そんな興奮を公園の脇でしてあっという間に帰る時間。

あ、なんだかんだ楽しんでるジャン。