2010年9月29日水曜日

西部アメリカ2

ザイオンの翌日はブライスキャニオンへ

友人曰く
「グランドキャニオンより良い」
ということでもう朝からテンション上がりっぱ。

前日のザイオンナショナルパークを抜け、広大な大地を走っていくと、次第に周りの景色が変わってくる。

なんもないところだったのが、土の色が赤くなり岩が出現。

うぉ!
まさにディズニーランドのビックサンダーマウンテン!
これぞ西部アメリカって感じの雰囲気だ。

まずは上からブライスキャニオンを眺める。



うん。赤い。
日本にはない色の大地だ。木も少なく、すごく乾燥している。
なんとなく空気が薄いのは気のせいだったかも



さっそくハイキング開始。

さすがに二日連続だと疲れるかと思ったら意外に歩ける。
一年前に100キロ走ったのは伊達じゃなかった!

ヤッター
って友人の彼氏がすごい言ってた。
HEROSって映画?で日本人が言ってたらしいけど、なんか和むな~
だってヤッターってなかなか言わんでしょ普通。


谷に下りてすぐに気づいた。
空の色が青すぎる。

アメリカのことだから着色料使ってるんじゃないかってくらい青い。
あんなに空って青くなるんだな~

そんな青すぎる空が大地の赤と対照的でキレイだった。

2時間くらい歩いて、ハイキングは終了

最後にまた上から眺めたんだけど、やっぱり雄大。

自然のスケールはアジアは勝てません。

2010年9月28日火曜日

西部アメリカ

今ロサンゼルスでお世話になってる友人とは中国の北京で知り合った。
しかし、当時はたった1,2時間しか話をしなかったのに、ちょくちょくメールをして10日間もお世話になっている。
これこそ俺の旅の醍醐味かなって思った。


先週の週末はその友人が国立公園に連れて行ってもらった。


金曜日の夜、晩御飯を食べすぐに出発した。


今回の目的地はユタ州にあるザイオン国立公園。
なんでココにしたかと言うと、俺が唯一見つけた行きたいところだったから。


深夜にそんなに遠くまでいけないので、まずはラスベガスの近くでキャンプ


のはずが
行こうと思っていたキャンプ地がまさかの「CLOSE」(理由はわからん)


ので近くの荒野で野宿決定


こんなときに
「うひょ~楽しそう♪」
って思うのはすでにバックパッカーとして生きてる証拠なのだろうか


アメリカ西部の砂漠にありがちなサボテン

次の朝は朝日とともに目覚め


朝日に起こしてもらうのは2回目だが、最高に気持ちがいい。
人間本来こうやって目を覚ますもんじゃないかなって思う。


その日のキャンプのために、まずは買出し。
もうドデカイスーパーには慣れてきてしまった。


買ったのは水と、パンと、ピザ
朝ご飯ようのピザはめちゃくちゃおいしかった!なんであんなにうまくできるんだ?
朝からピザとか信じられない皆さん。
アメリカなら食べれますよ~~


なんて朝からテンションガンガン上げて、


はい。到着。


まず、インフォメーションセンターみたいなところへ
ココではいろいろ残念な情報が、
1、俺が見たいと思っていたところには奥地すぎて行けない。
2、腰まで水に使ってハイキングしなくてはいけない。
3、俺はジーパンしか持ってない。


ぬれたら重いジーパン


いまさら何を言っても帰るわけにもいかないし、江戸時代じゃないんだから俺を背負ってくれる人もいないんだから、ジーパンで突撃。


ここザイオンは、両側を崖というか岩山?に囲まれた渓谷
両サイドは優に100mはあろうかという絶壁。
その間を小さい小さい川が流れていて、そこを人間がハイクしていく。


道は川の中しかない。
水に入った瞬間、外気温は35℃もあるくせに
「つめた~~~~~~~~い」
足が痺れるくらい冷たかった。


そんなこんなで、1時間くらいハイキングしたところで休憩。


友人の彼氏のアメリカ人が休む用の洞窟を見つけてくれて、みんなでお昼ご飯。


おいしい。
外でしかもみんなで食べるご飯ってのはこんなにおいしいのか。
やっぱり一人旅をしてると一緒にご飯を食べてくれる人のありがたさを感じる。


そこから30分ほど歩いたところで、ハイキングは終わり。
そのまま同じを戻っていった。


これはザイオンだけではないけれど、道って不思議。
行きと帰りで全然風景が違う。
こりゃ迷う人もいるわなって思いながら、写真を撮って歩いてきた。
いつの間にか足元の冷たさも感じなくなっていた。
バスに乗り、第2チェックポイントに
今度は山に上るハイキング。


もちろんこの山も赤い岩山
だんだんそんな岩山が普通になってくる人間の感覚って不思議だな~


ひたすら登って登って、意外にきつい。


頂上に近づくにつれて段々道も狭くなってくる。
そして鎖を持たないと歩けないくらい細い道。
両サイドは断崖絶壁
落ちたら100%死ねるような道を歩いていく。


あまり高所恐怖症でもないが、さすがに両サイドが死への崖だとビビった。
ちなみに友人とその彼氏は全く怖気ずにスイスイ登っていく。
さすがに経験者は違うんだな。(二人は趣味でロッククライミングをしている)


1時間くらい登ったところで頂上に到着!


すごい眺めだった。


下から見ていた風景を上から見るともちろんのことながら全く違うもののように見えた。
山々は近く。川は遠かった。
あんなに雄大な風景を見ることはもうないかもしれない。

2010年9月24日金曜日

ロサンゼルスとカルフォルニア

アメリカ滞在も早いもので3日目

ちょっとした時差ぼけも一日で回復し、まだまだ行けるぞ!と思い「若いうちにしかできない大移動をしてるな」とも思う。
今回の旅でしている経験のほとんどは相当な体力を使ってきた。
12時間を優に超える長距離移動。
言葉の通じないところでどうにかいろいろ伝える困難。
どの国も日本より危険で街歩きのときは今まで生きていた中より気を使い続ける。
客引きに囲まれそれを追い払う。
乞食との葛藤。
バックパックを背負って宿探し。
どれも本当に体力を使う。特に最初のほうは。

この旅を若いうちにできたのは自分にとって最高なことだと思う。両親に本当に感謝だ。


元からアメリカなんて通過地点って思ってたから歩き方ももちろんないし、特に下調べもせずにロサンゼルスに来た。
10日も楽しめることになっていろいろネットで調べてみたが、ロサンゼルス自体あんまり見所がない。
L.Aと言ったらハリウッドくらいだ。
ユニバーサルスタジオやディズニーワールドがあるが、一人で行ってもな~んにも楽しくない。
そもそも入場料が高くていけないんだか・・・・

そんななか、泊めさせてもらってる友人から、「まずサンタモニカに行ってみれば?」と言われたので直行。
ちょっとした観光地になっているけれど、それもちょっと。
特に歴史的建築物や世界遺産や変わった町並みがあるわけではなく、典型的なアメリカな街。
それでもアメリカに来たばかりの俺には新鮮だった。

海岸は随分広い砂浜になっていて、結構遊んでる人やのんびりしてる人が多い。
俺もそこで横になって一眠り。。。。

起きてみると体中砂だらけ。
インドで砂丘で寝たのを思いだした。あのときの夜空きれいだったな~

そこから2時間くらい歩いて友達宅に帰宅。
途中休憩に立ち寄った公園で面白い場面に遭遇した。

そこでは夕方にバレーボールスクールをやっているらしく、たくさんの子供と、何人かのお父さんが来ていた。
まず面白いのが絶対会社が終わってないと思われる時間にお母さんではなくたくさんの”お父さん”がいたことだ。
日本では考えられない。
平日の5時にお父さんたちが公園で子供のバレースクールの手伝いをしているなんて。

そんな風なことを考えながらボーっと見ていると練習が始まった。
その練習はバレーの下手打ち(?っていうの?)の練習。
三人くらいの子供にお父さんがボールを手で投げて打ち返すという形式。

子供はもちろんそんなにうまくないのだが、お父さんがべた褒め。
全然手元に帰ってきてないのに
「Perfect!!」「Great!!」
のオンパレード

もちろんこうしたほうがいいよ~とは言うんだけど、基本褒める。
褒める教育を見て、あれもいいかもなって思った。

英語の授業でこんな話を聞いた。
ある従業員が仕事を頼まれて80%終わらせていた。
アメリカ人なら
「おぉ!80%も終わったか!いいぞ!」
日本人なら
「なんで20%できないの?」

日本人の俺からすると頼まれた仕事を80%しかやらんってのがまず問題じゃないのか?って思うんだけど、日本人とアメリカ人で見る観点が違うってたとえ話でとても興味深かった。

この例えを俺は公園で実感した。
短所を無くすんじゃなくて長所を伸ばす。
俺もそっちのほうがいいんじゃないかって思った。だってやってるほうは楽しいもん。


今日はハリウッドに行ってみた。
正直なんもなかった。
お決まりのあの看板


なんの下調べもしなかったからかもしれないけど、コダックシアターがただのショッピングセンターだったのは面白かったけど。

そして今週末には友人と自然公園にキャンプしに行くことに。
アメリカの大自然はすごいらしいからかな~り楽しみ。

さらに!
来週の初めに2泊3日くらいでサンフランシスコに行くことに!


もうカルフォルニア満喫です~~

2010年9月22日水曜日

アメリカンドリーム

完全に旅の経由地でしかなかったソウルを意外に楽しみ、そして最後には惜しみ、アメリカへ。

ここアメリカ、入国が大分面倒だというイメージがあった。
ソウルのインチョン空港では「帰国用資金の提示」を求められた。

11時間のフライト後、ロサンゼルスに到着。

イミグレは意外に空いていた。
しかし、自分の順番はなかなか来ない。なぜなら白人のカップルが俺の目の前でいろいろ書類を出したりイミグレスタッフをなだめたりしているから。

「俺も時間かかりそうだな~」と思った。
俺の懸念材料はただ一つ。片道航空券での入国だ。
厳密に言うとビザなしでそれをするのはルール違反。
ビザ免除の条件のところにほとんどの国でそうだが”出国航空券を持つもの”とある。

もちろん東南アジアの諸国でもそうだったが、あのルールはあってないようなもの。
一部の国以外では。しかしアメリカはその一部の国に入るとされている。

緊張しつつ俺の順番になった。
イミグレスタッフは典型的なアメリカ人。白人で太っていて声が高くて顔がまん丸。
ハリーポッターの映画で出てくるダドリーみたい。(あの人イギリス人だけど)

イミグレスタッフ「入国目的は?」
俺「観光!」
イミグレ「何日いるの?」
俺「10日!」
イミグレ「はい、じゃあ指紋とるから~~」

それでスタンプをポンッ
さらにアライバルカードを返された。

あれ?
これで終わり?もっといろいろ聞いてくるんじゃないの?

まぁそんなこと聞いて面倒になるのは勘弁だからさっさとその場を去った。

あんなに恐れていたのになんでもなかった。

空港にはロスで家に泊めさせてもらう中国で会った友人が迎えに来てくれていた。
空港に人が迎えにくるってどんだけ幸せなんだろう。

あの新しい国に着いたときの不安が一切ない。
ただ希望だけ。

ロサンゼルスは他の町に比べて都会ではないらしい。(でもデカイ街)
確かにあんまり高いビルはなかった。その代わり一階建てのバカデカイ建物ばかりだ。
土地が余ってるアメリカを実感した。

まだアメリカのきれいな部分しか見てないけれど、全体的に優雅だなって思った。

インドや東南アジアの国々の日常を映画にしても憧れることはないだろうと思うけど、アメリカの町は映画にしても良い絵が撮れそうな気がする。
でも写真じゃない。ただの動画じゃない。
絶対”映画”

アメリカ最初のご飯は俺の大好きなハンバーガー
インドであったジュンが教えてくれたIn&Out
この店はカルフォルニアにしかないらしい。

さて、本場のアメリカそのお味は・・・・

うま~~~~~~~~~~~~~い!

なんかいい。
なんとなくいい。
でも確実にいい。

あ~あもっと文才があったらな、伝えられるのにこのうまさ。

2010年9月19日日曜日

新しい世界

ソウル滞在4日目。

やることないとかいいつつ意外に毎日楽しんでいる。

な~~にが楽しいかというと、


今回の宿と宿泊してるメンバー


今回泊まってる宿は物価の高い国では結構普通なアパートの一室をゲストハウスにした形式。
二段ベットが二つはいる部屋とリビングキッチンになってて、夜になると泊まってる人たちが(ほぼ例外なく毎日)飲んでいる。

最初のほうは昼間に観光したいなって思って早く眠ってしまって参加することはなかった。
でもある日「別に明日やることないから遊ぼう!」って思った日から俺のソウルライフは激変。

大体朝までみんなで騒いで、そっから寝て起きるのは1時くらい。

もう完全に夜型人間。
というか、アメリカに向け時差調節中(←言い訳)

どこの国でもそうなんだけど、こういうゲストハウスにいるやつって面白いやつばっかり。

ちょっとクールだけど、お茶目なドイツ人マーク
いっつも「F○CKIN GERMAN」って言われてるやられ役のドイツ人ピーター
顔がアジア顔なのに立派なドイツ人の2人組
韓国人なのになぜかゲストハウスにいるユミ
どこか秘密のベールに包まれてるアメリカ人クリス

リビングにあるPCにスピーカーくっつけてもうクラブ状態。
しかも外人たちはビールにジンロを混ぜて飲む。

同じ屋根の下で毎日生活してるとまるで家族みたいになってきて、めちゃくちゃ楽しい。

大体9時くらいからゲストハウスで飲み始めて12時過ぎたら出陣。

おとといはクラブに
昨日は公園へ行った。

人生初のクラブ。
正直俺の居場所じゃないなって思った。
ただうるさいだけで、大して踊ったりできないし人が多すぎた。

近くの公園ってのがこの辺の人の溜まり場になっててかなり面白い。
もう変人の溜まり場。
アジア系かその他かの区別しかないあの空間、意味不明理解不能だけど楽しい。

昨日の夜はアメリカ人のルーリーに連れられハードロックライブへ。

なんだあれ?
あの爆音。あの首振り。

俺のフィールドではなかったー
ルーリーに「俺好きじゃないから帰る」って言ったら「そっかーまたね!」
この乗りが好き。
無理して人に合わせなくていいのが好き。日本に帰ったら困るかもなぁ・・・

次の日話してたら
ルーリーが「昨日あのあと日本人が来て、君のこと話したんだ。で彼が「どこにいるの?」って聞いてきたから「ナオはてめぇのクソ音楽が嫌いで部屋に戻ったよ」って言っておいた」
って
もう大爆笑。
もちろん本気で言ってるわけではなく、日本人でも仲の良い友達の間では汚い言葉を使うように英語も仲の良い友達の間ではFワードも結構使うらしい。
それが俺には面白くてしかたない。

部屋でドイツ人の2人組みの一人がピーターと顔をあわせ
若いドイツ人「このクソドイツ人が!」
ピーター「あぁ~俺もドイツ人なんて大嫌いだよ!」

この会話がマジウケる。
俺が勝手に訳してるからちょっとその場で聞くのとはちょっと違うと思うけど、ちょっとは伝わったかな?

今までの旅はその地を楽しんでたけど、ソウルでは日本でもあるけれど、なかなか縁のない世界に飛び込んでみた。
こんな旅も面白いものだ。

2010年9月18日土曜日

韓国野球!

なんでソウルに6日もいるんだろう。
あまりにやることが少なすぎる。

そんな愚痴を言ってても仕方がないので、毎日の日課「地図とにらめっこ」

う~~ん
ない。
面白そうなところがない。

と、
「お!」

野球場があるではないか!
そういえば何年か前に東京ドームで日韓野球をみた。
あれ面白かったな。

決まり。

今日は野球を見に行くことに決定!
早速ご用達のツーリストインフォメーションへ。

俺「いつもお世話になっております!野球どこでやってますか?」
スタッフ「野球・・・ですか。ちょっと待ってください。ソウルでは2試合あります。」
俺「どっちの試合が面白いですか?」
スタッフ「う~~~ん」
俺「って言ってもわかんないですよね~強いチームの試合は?」
スタッフ「それはLGですね。」←ココ即答
俺「じゃあそれの情報を」
云々・・・

試合は俺の泊まってる宿からちょっと離れたところで6:30からあるらしい。
現在時刻は2:00
4時間もある!

そんなときのツーリストインフォメーション。
しっかり暇つぶし場所を教えてくれました。

ソウル中心街にある小川沿いを散策するコース。
こないだ俺も雑誌で見て気になってたところ。

メトロに乗って4駅。
到着!

意外にいい感じ。
ソウルの中心にこんな場所があると和むよな~って思った。

歩いたり(主に)座ってたり。
あっという間に3時間経過。

日本の球場では飯は馬鹿高いのできっと韓国もそうだろうと、先に夜ご飯。

今日の晩飯は
「石焼ビビンバ」
ひゃっほ~い!

昨日の金タライとは大違い。
熱々フカフカのビビンバ。
これだよ!これがビビンバだよ!うめぇ~そしてそんなに辛くない!

ちょっと食べすぎかなって思いながらも本日メインイベント
「韓国野球観戦」へ

席は内野二階席、ベンチの上をチョイス。
これが大成功。

球場が小さいのもあってホームに近いし、なによりホームチームの応援団がちょうどいい位置に見える!
応援好きの俺としては最高。

そしてこの応援。基本的には千葉ロッテマリーンズの応援と一緒。
しかし!
大きく違うことが。
それは応援歌を歌うときにトランペットで伴奏ではなく、スピーカーからもろに応援歌を流す!しかもそれがかなりの音量。
もうひたすら笑ってしまった。(←すいません)

試合結果は5-4でLGの負け。
結構いい試合だったけど、俺の応援したLGは4回も満塁のチャンスを潰していたから負けるべくして負けたかなって感じ。

やっぱり隣の国ってこともあり、戦略とか選手層とか似てて面白かった!
ロスでも見に行こう。

2010年9月15日水曜日

ハンガンの夕日

昨日中途半端な時間に寝たため、12時起床。

めちゃくちゃ寝たな~
5時に帰ってきてそこから12時まで寝て
3時にまた寝て12時まで
トータル16時間かぁ~疲れてたのかな?

今日はやることもなく、ゆっくりしよう!ってことで昨日のタイラー君の「自転車借りてどこかに行こう!」ってお誘いも丁寧にお断りし、街をブラブラ~

ソウルって日本に近いこともあり、どこの案内表示にも日本語が併記してある。
さらに観光案内の人は5人に3人くらい片言の日本語をしゃべる。

旅しやす~い!
韓国人の人も丁寧に道を教えてくれるし。

そんなことを考えながら、必死にやることを探す。。。。

目に入った「CASINO」の文字。

あ~我慢できねぇ。
行っちゃえ~

ってことでビンボー旅行なのに、カジノへ!

お得意のルーレットへ直行。

結果
1時間で100000W消えました。(泣)
もうギャンブルしません。自分に誓います。

金もやることもなくなった俺は、本日4回目の地図との睨めっこ・・・・

そうだ!夕日を見に行こう!
キャメルサファリで夕日を見て以来あんまり見てなかった。
あの時は砂漠だったけど、都会もいいかな~ってことで川原に移動。

しかし時間が少し早かったらしく、サッカー場の近くでお昼寝
今日のソウルはとっても気持ち良くて1時間も寝てしまった。

目が覚めると、ちょうど夕日がきれいな時間だった!

高層ビルに沈んでいく太陽はキャメルサファリで見たのとちょっと違ってこれもいいな~って思った。

いろいろ久しぶり

バンコク→ソウル便は乗客を半分くらいしか乗せず、スワンナブームを飛び立った。

久しぶりにあんなに空いてる飛行機に乗った!
もちろん俺の隣は空席だから身体を横にして寝れたので、デリーからの飛行機よりいくらかは楽だった。

久しぶりの韓国。
ソウルは約1年前に友達と弾丸ツアーで来た以来。

やっぱりインチョン空港好きだわ。
アジアに戻ってきたなって思う。日本語表示もたくさんあるし。

この前はツアーで来たからどうやって市内に出るか、わからなかったがバスを発見。
10000Wって高いのかな?
また眠ってしまい、降りるバス停をひとつ乗り過ごした。

また久しぶりの予約したホテル探し。

俺はいつも地図をデジカメで読み込んで見てるから、あのデジカメと睨めっこが楽しい。(←ホテルに着いたから言えること、実際探してるときは焦ってる)

今回の宿は普通の民家を改装した感じのホステル。

う~ん。
こういう系のホステルのあの部屋に入ったときの独特の匂いなんなんだろう。
臭くないんだけど、ヨーロッパの匂いなんだよね。

まぁそんな旅の中でもいろいろ懐かしい状況(?)に微笑みながら
「フライトで疲れたし、まずは寝るか!」
って思ってたら
「ソウルの築地に行くけど行くかい?」
との誘いが。

。。。。。。。

行く!

少し疲れた身体を動かし、ソウルの築地へ。


うん。
まさに魚市場だった。


アメリカ人のタイラー君と一緒に行ったんだけど、やっぱりあの風景は欧米人には特殊らくしくかなり興奮してた。


俺は。。。


懐かしいな~って
「そうそう、魚市場ってこんな感じだよな」って思った。

近くの食堂に入ると自分で魚を買わなくちゃいけないらしく、
「外で買って来い!」
と言われショッピング♪

わかんねぇ。
泳いでる魚を見ても全然うまそうに見えない。

そんなアジア人とさらに何も知らんアメリカ人だから、もう店の人にテキトーに選んでもらった。

その場で捌いてもらったんだけど、それの手際のいいこと!
やっぱりアジアだわって。

すぐに刺身の準備ができて、

実食!

うまぁ~~~い
うますぎる。

タコの踊り食い!

うまぁ~~~~~~~~~~い

もうアジア食最高。(←インドはアジアじゃありません)

2010年9月13日月曜日

バンコク再来

昨日早朝、デリー発バンコク行きの飛行機は定刻より30分も早く到着した。

インド嫌い嫌いとかいいつつすごく楽しかった!

インドにはインド独特のものが多かった。

所狭しといるインド人
に負けないくらいいる動物(牛、犬、ヤギ、羊、豚、猿、鳥)
さらに負けないハエの量
むかつくくらいの好奇心
客引きのあきらめない心
突然チャイを奢ってくれるフレンドリーさ
意外に大きい声に弱い

どれも他の国のそれとは異質で、あれがインドの魅力だと思う。

バンコクに到着し姉の友人宅までの道で、何度も「キレイだ」って言った事か。
道に牛はいないし、そもそもどの道も舗装されてた!
道を舗装するのはヒートアイランド現象の原因とかいうけど、じゃあ舗装されてない道を雨の後あるけるか!?
って言いたいな。

やっぱりバンコクは俺の大好きな都会で
道をあるけばそこらじゅうにコンビニがあるし、人は早く歩くし、道は混んでるし、騒がしい。
都会っ子の俺はインドのあの片田舎もいいけど、こんな都会で暮らしたいなっていつも思う。

まだまだバンコクはいいところがある。
実をいうと、インドにいる間ほとんど鼻水が止まらなかった。
持って行ったトイレットペーパーは本来の使い方は一度もせず、すべて鼻紙として消えた。

それが

バンコクに戻ってきたとたん治った。
確かにバンコクも空気がキレイとは言いがたいけれど、砂埃が少ない。

さらに屋台のご飯がカレー味じゃない!
タイの麺は薄塩味だし、肉もたくさん売ってる。
値段は少しだけ高いけど道でフルーツも食べる用の棒をつけて売ってる。

そしてやっぱりおいしい。
↑ココ大事ね。

インドにいるときは、バンコク戻ったら日本食三昧だ~って思ってたけど、一回しか食べてない。
それ以上にタイのご飯がおいしい!
やっぱり現地のもの食べるのが一番おいしいのかな?って思った。

バンコクは本当に過ごしやすい街だと思う。
生活スタイルは日本に近いし、旅に必要なものはすべて揃ってるし。
もう一回来るならバンコクかな。



段々インドの雰囲気から抜け出してきたなって感じる。
もうトイレもインド式じゃないし、手でご飯食べることもないし。
同時に随分自分はインドの文化に浸かってたんだなって思った。
バンコクのいろんなもの見るたびにインドではって思ったし、でもそれも二日で段々でなくなってきた。

時間は進んでる。

インドを出たばかりのときはインドが終わったということばかり考えてた。

でもそれは同時にアメリカへの旅の始まりでもあるんだなと今は思う。

2010年9月12日日曜日

恐怖のデリー

恐怖のデリー。
それはインド旅行に来た人が最初に訪れる街。
日本からの飛行機はほとんどが深夜着(←これわざとじゃないの?)
そこから各自主にリクシャーに乗せられ町に出て行く。

もちろん最初の街、最初の旅のやつもいる。
そんなやつらの心に入り込んで思いっきりインド人はボッタクッてくる。

俺もインドを2ヶ月旅して60%くらいの人がボラれてた。


そんなデリーに2ヶ月の集大成で表敬訪問。


インド人(主にリクシャーワーラー及び客引き)に
「死ね!」「消えろ!」「インドなんて大嫌いだ!」
を連呼していた俺はかなり免疫ができていたらしく、彼らもほとんどスルー
インドの中でもかなりゆるいほうに入るくらいスルー


「もうインド人がでてこないなら、俺が行ってやる!!」

はい。臨戦態勢。

まず、釣堀(コンノートプレイス)に釣り糸(地球の歩き方を客引きに見えるように見る)をたらす。
3人で地図を見る・・・
待つ・・・

え?こないの?って思ったところで登場!うそつくインド人A
A「どこ行きたいの?」
俺「DTTDC(政府の旅行会社)に行きたいの!」
A「そうか、じゃああっちだよ」(この時点で地図とは逆方向を指す)
俺「そうなの!ありがとう。行って見るよ」
A「どうせなら俺が連れてってやろう!」
俺「ありがとう!」

そしてそいつの後を歩く。
なぜか大きな距離を”向こうが”保ったまま歩いていく。

俺「この距離あやしくない?」
友「逆にこの距離が信じられるんじゃない?」
俺「あ~確かに!信じてみるか!」

5分も歩かないうちにそいつのオフィスの前に着き、そいつはどこかに消えた。

「あれ?もし斡旋だったらなかまで入ってきてコミッションもらうよな。それをしないってことは普通のやつなのかもしれない。」

そう思った1分後にはそれは愚問に変わった。

その偽旅行会社を空けたとたん、
「あ、これは政府の旅行会社じゃない。」
ってなって俺はどこまで行けるのか、試してみたかった。

しかし今考えると突っ込んでいなくてよかったと思う。
友人は冷静になり、「ここで囲まれたらでられなくなる。」

それもそうだ!と思った俺は席を立った。
インド人(オーナー)「危なくないよ!大丈夫だよ!」

しかし一度変わった流れは変わらず俺たちは一回外にでた。

もーちろん日本語を話すそいつも一緒に外にでてくる。
ボスB
B「危なくないよ~中にいるの全部働いてる人だよ?襲ったりしないよ」
俺「でも怖いんだもん高圧的で」
B「君インド人馬鹿にしてるでしょ?」
俺「インド人が日本人を馬鹿にしているんでしょ?」
B「そんなことしないよ!なんで君はインドに来たの?」
俺「旅行に来てるのに、君たちが騙すから楽しくなくなるんだ」
俺の友人S「とにかく地図持ってきてよ」
B「僕は君のためだけに働いてるわけじゃないんだよ」
俺「じゃあ、オフィスもどれよ!!」
B「もっとゆっくり話してよ」
俺「だから戻れって!」
ここでBサングラスをはずし、俺にキスするくらいの距離に顔面を近ずけ
B「もっとゆっくりしゃべってよ!!!」

さすがに吹いた。
眼飛ばしてきて「もっとゆっくりしゃべってよっ!」ってなんだ?
しかしBの攻勢は続く

B「馬鹿野郎さん!!」

再度吹く。
”馬鹿野郎”に”さん”づけ。
どんな日本語使ってるんだよ。
きっと弱気な日本人を騙す日本語しか話せないんだろうな。


こうして日本人を騙そうとするインド人のところに冷やかしに行くのは

「大成功」

した。