2010年11月30日火曜日

「ヤザワ(ブラジルに留学している友達)のところへの旅路」第二ステージ

ドカーーーーーンン

そして床が崩れて俺は下に落ちる。

・・・・で目が覚めた。

変な夢だった。
ワンピースの読みすぎだろうか、なぜか知らないけれど、夢でもルフィが大暴れしてた。
影響されやすいんだよな・・・

第二ステージが始まる。
宿もそうそうにチェックアウトし、イミグレへ。

ボリビアのイミグレは(いつも通り)黙ってスタンプ押してくれるだけ。
そうそう、これでいいんだよ。

ここの国境は船で渡る。
船で国境を渡るのは人生二度目。
一回目はラオスからタイに行くとき。
あの時は。。。あんまり覚えてない。

乗り場に両替商がいたので、ポケットにあった100ボリビアーノを両替。
大体25レアルかな?と思ってたら
46レアルもくれた。
レートが良すぎる。絶対間違ってるけど、すぐに立ち去った。

そして!
ついにブラジル~

上陸そうそう、スタンプ押してくれるのかと思ったら
「警察署行って」
のひとこと。
南米国境では結構あるって聴いてたからあんまり驚かなかった。

船着場の前にはタクシーのおっちゃんがいる。
俺「警察署とATMか両替、バスターミナルへ行って」
おやじ「ATMも両替所もない。」
俺「じゃあ他の二つだけでいいよ」

まず警察署へ
ドアを開けると、イミグレスタッフと思われる男が一人と守衛が一人。
俺「スタンプちょうだい」
イミグレ「君はボリビアから来たのか?それともこれから行くのか?」
俺「今きたところ」
イミグレ「君はブラジルに何しにきたの?」
俺「友達に会いに来たんだ。マニコレの」
イミグレ「マニコレ??・・・・(守衛を見る)」
守衛(うなずく)
イミグレ「あ、マニコレね。はいはい。でその友達は日本人?」
俺「そうだよ」
イミグレ「そこでなにしてんの?」
俺「環境保護とポルトガル語の勉強してる」
イミグレ「ふ~ん。ブラジル人が日本行くときはビザ必要なの?」
俺「知らん」
イミグレ「でどれくらいブラジルにいるの?」
俺「2ヶ月」
イミグレ「でもビザには90日って書いてるね・・・じゃあ90日分あげよう」
俺「ありがとう!」

久しぶりのイミグレとの押し問答。
やってるときはあせるんだけど、終わったあとは楽しかったって思う。

またタクシーに乗ると今度はおやじがふっかけてくる。
オヤジ「ポルトベーリョまで120ドルで行ってやる。」
俺「いらない。バスの方が安い。」

バスターミナルに無事到着し、チケットを買う。

ここで問題発生。

両替したお金が足らなくてチケットが買えない!
やばい!
急いでATMを探す。(もちろんタクシーの運転手が無いって言ったのを信じることは絶対無い)

すると一人の女の人が近くのATMを教えてくれてバイクタクシーを捕まえてくれた。

直行する。
が壊れてます。

他のところに行く。
が壊れてます。

最後の手段!ブラジル銀行まで行こう!

お金下ろせたーー

一気に金持ち。

バスターミナルに戻り、チケットを購入。

バスは定刻どおりに出発。
そして驚くべきは
エアコン付き!快適。
エアコンなんてメキシコ以来だ。やっぱり高いだけあるな。と実感。

友達曰くマニコレはマデイラ川の中では大きい町で有名らしい

その情報を先に得ていたので、ポルトベーリョに付いた俺はマニコレ行きの船を探す。

まずバスのスタッフ。
「え?マニコレ?え~~っと。どうやっていくんだっけねぇ。」
町の人
「マニコレ?なにそれ?」
バイクタクシーA
「マニコレ?知らない。」
バイクタクシーB
「あ~マニコレね。乗りな」

キターーーーー
てか有名ってどこがだよ!!とツッコミをいれ船へ。

船に乗船すると、ポルトガル語のできるドイツ人フィリップが助けてくれた。
彼曰く
出発は”明日”時間はわからない。
今日は店が閉まってて寝るようのハンモックが買えない。
食事は3食でる。

でもハンモックがないと夜も寝れないので、町に探しに行くことに。

するとフィリップが仲のいい近くの商店のおばちゃんが
「今日だけだよ」
とハンモックを貸してくれた。
奇跡!
なんという寛大さ。

ウキウキして船に戻りその日は就寝。

こうして第二ステージも無事終了。

2010年11月27日土曜日

「ヤザワ(ブラジルに留学している友達)のところへの旅路」 第一ステージ

旅の最大にして最後の目的地

「ヤザワ(ブラジルに留学している友達)のところへの旅路」

7ヶ月旅してきたけれど、その中でもかなりトップクラスの秘境。
しかも通るルートもかなり秘境。
なんせこのルートを見つけるのに約二日かかった。(結局ネットで見つけた)

所要時間最短72時間(3日)最長96時間(4日)
↑予定で。

出発前にこの旅路のおおまかなルートを
第一ステージ
ラパス→グアヤラミリン
交通機関バス
予想所要時間36時間
第二ステージ
グアヤラミリン→ポルトベーリョ
交通機関船、バス
予想所要時間6時間
第三ステージ
ポルトベーリョ→マニコレ
交通機関船
予想所要時間24時間~48時間

こんな感じ。

まずは第一ステージ

なんだかんだ長居して、みんなと仲良くなったエルソラリオと別れを告げ、バスターミナルへ。
バスターミナルって言ってもバスがタダ道端にたくさん止まっているだけのおそまつなもの。

到着すると、バスはもう到着していた。
が、
これがトラックのようなバス。

屋根の上はもちろんのこと、座席後方3列くらい荷物で埋められる・・・
さすがの現地人でも
「これはトラックじゃないんだから!!」
って怒ってた。
ちなみに、トラックは”カミオン”って言うんだけど、メキシコではバスも”カミオン”
メキシコでは人間も荷物!?・・・・考えるのやめておこう。(笑)

”バス”は定刻より30分ほど遅れて出発。
最初はあのマウンテンバイクで走った道を進む。
この辺から眠気が襲ってきて、一時熟睡・・・

目が覚めると長袖なんか着てられないくらいの暑さ。
そして
空気が濃い!←これ大事
そして
左側を見ると300mくらいの断崖絶壁!!

ここで俺は思い出した。
「ラパス~コロイコ間は死の絶壁が続く区間。年間300人程度の死者を出している。しかし大型バスや雨期を避ければ心配ない。」(地球の歩き方より引用)

え~~と
俺は大型バスに乗ってるし、11月って雨期の始まりだよな
・・・・
やべぇーーーー
死ぬーーー
俺こんなところで死にたくない。畳の上で死なせてくれーー

ここからハラハラドキドキ。
だってバスは崖から1mも無いところをひたすら走る。
そして
たまに傾くー

こりゃ寝られない。とビクビクしてたはずが

爆睡

目が覚めたらコロイコだった。
度胸があんのか鈍感なのか。。。

ここからはもう大丈夫らしい。てか大丈夫じゃないと困る。
なんて言ったって
もう暗い

しかし外のことを心配できる状況じゃなくなった。
コロイコで新しく乗客が乗り込んできて、バスはほぼ満タン。
俺の隣の席も空席だったが客が乗り込んできた。

うわー大きいバックだな。なに入れてるんだろう?
お、子供連れか。大変だな。
え、こいつが隣?子供夜鳴きするな面倒だなぁ
ん?あれこいつの肩に乗ってるのなんだ
・・・うわっ、インコだ。

なぜか、インコが肩に乗ってる子供連れの隣になった。

コロイコを6時くらいに出発し10時くらいに夜食休憩。
大して腹も減ってなかったのでパス。
外の空気を吸いに歩いてると横をトラックが通る。

パンッ!!

痛ッ!!!!

(ご安心ください、銃声ではありません)
ここの町舗装されてないから石が転がっていて、それが何かの拍子でタイヤにはじかれ俺の太ももに着弾した。
幸い、大事には至らなかった。

痛ぇ。

またバスは走り出す。
もう夜なので電気も消される。
ここから大変だった。

ちょっと眠りに入ったところで子供につつかれる。
どける。
なぜか女の人に寄りかかられる。
どける。
なぜか鳥に止まられる。(←これどうにかしたい)
どける。

の繰り返し。小一時間。いや二時間。
俺もついに疲れ果て
子供につつかれつつ、女に寄りかかられ、鳥に止まられながら

寝た。

いや、この旅で手に入れた技術の一つかも。

「どこでも寝れる。」(前からだよ。って突っ込みはいりません)

目が覚めたらルレナバケ。
ボリビアでのアマゾン観光では名の通った町。
エルソラリオからも何人か行ってたな。って町。
まぁ俺はここは経由地でしかないからなんもしなかった。
他の乗客はシャワーとか浴びてる。
どんだけ準備いいんだ。

運転手がご飯を食べ終わったらしく、出発。
ここから風景が激変。
ペルー、ボリビアは主に山岳地帯を回ってきたからジャングルってのは新鮮だった
・・・・のは最初の10分だけ。

鋭い読者ならもうお察しであろう。

寝ました。

目が覚めると、村とも呼べないくらいの規模の建物郡の一つで昼飯。

うわーこれ不味いパターンだ。
↑段々直感でうまいか不味いか感じるようになった。

と思ったら・・・・本当に不味かった。
でも腹減ってたので食べる。てか腹へってたから食べれたとも言える。
コーラで口の中を洗浄し、またバスに乗車。

陽も傾いてきて、こりゃ時間通りには行かないな。
と思い始めたころに、ボリビア北部の州の州都リベラルタに到着。
ここからグアヤラまでは約3時間らしい。
これは!今33時間経過したから、予定通りつけるぞ!
と思ったのが大間違い。

到着のときに運転手に
「どれくらいここに止まるの?」
「30分」
と言われ出発したのは

3時間後

どう計算間違えしたかを知りたい。どういう風に30分ってはじき出したんだ?

そんなこんなで出発しちゃえばこっちのもん。
3時間後にグアヤラミリンに到着。
もう12時回ろうかっていう時間。こんな時間に国境渡れるわけもなく、ホテルへ。

なぜかどこも満室で6軒目で部屋を見つけた。
2泊するならそこには泊まらなかったってくらい汚い宿だったけれど、明日の7時には出る予定だったからそこに決定。

ちょっとだけと思ってワンピースを読み始めたら3時くらいまで見てしまった。
明日7時に起きられるだろうか・・・・

なんだかんだで第一ステージ無事終了。

2010年11月25日木曜日

ブラジルビザ atラパス

月曜日に申請したブラジルビザ。

本日。

無事取得~
はくしゅー

これで友達のところまでいけることになった。
ついに、俺の旅も終わる。
長かったがまだ終わってないから、そこはまだ書かない。
終わったときに全部書く予定。

ブラジルビザ取得について経緯を。
誰かの役にたつといいな♪

今回はボリビア・ラパスにてブラジルビザを取得。

取得に関しては

  1. ブラジル大使館ホームページから申請できるビザ申請フォームで入力した後出てくるナンバー
  2. ブラジル出国航空券または日本帰国航空券のコピー
  3. 黄熱病予防接種(イエローカード)のコピー
  4. US25$
が必要。
所要日数は2日間。
月曜日申請したら水曜日受け取り。
営業時間は8:30~12:45
だった。

ラパスからリベラルタ及びポルトベーリョ方面のバス。

ヴィジャファティマからバスが出ている。
11:30am発のポルトベーリョ近くのグアダラメリン(?)ってところまで36時間170ボリビアーノ

これでブラジルへの道は整った。
あとは行くだけ。

もうちょっと。
もうちょっとで最後の目的地。

この旅を最後までたくさん楽しもうと一段と思った一日だった。

2010年11月24日水曜日

髪の毛染めてみた

ラパスに戻り、2日目。
昨日はブラジルビザの申請に行ってきた!
いろいろ大変だったけれど、そのへんは取得できたときに一緒に・・・

で、今日は。

「髪の毛を染めよう!」

同室のジュンジさんと宿の目の前の床屋に突入。

俺「髪の毛の色を変えたいんだけど」

おばちゃん「できるよ・・」

俺達「できるーーーーよし!やろう!」

とここで俺の人生初の毛染めが決まった。

色は随分前から決めていた。
髪の毛染めるなら絶対この色

オレンジ。

なんでこの色か。
それは
ブリーチの主人公の髪の色がオレンジだから。
そう、俺はミーハーなんです。
それかとてつもなく明るい



そんな願いをおばちゃんに伝える。
よくわからないスペイン語で説明される。
なんとか黄色とオレンジってのは伝わったみたい。

そして毛染め開始!

なんか変な液(?)みたいなのを髪の毛に塗っていく。(つめたーい!)

髪の毛が短いと痛いと聴いていたがそうでもないみたい!

思ったのはこのときだけ。

ジワジワヒリヒリし始める!
そして閉めのスチーム。
これがまたヒリヒリを促進させてくれる。

痛い!けど我慢!

1時間くらいそのまま待って、ついにお披露目~

最高の色になってた!
オレンジと金髪の間!
俺が願ってた色そのもの!

これでブラジルの友達はびっくりするかな??

2010年11月20日土曜日

ウユニ塩湖

ウユニの村を出発した一行は、ウユニ塩湖を目指す・・・

とーー
思いきや、最初は全然関係ない村の近くにある
「列車の墓場」
に行くことに。

実を言うと、「歩き方」ですでにチェックしてて、楽しみだったんだよね
かなり前に放置された機関車たちが眠ってるってことでワクワクドキドキ。
もうすっかり鉄くず

その墓場に行くと、かなりの数の機関車と貨車(の廃車)
しかしどれも風化してしまっていて中には原型をとどめていないものも。
日本だと保存されてる機関車しか見ないからちょっと新しい体験だった。
結構ボコボコ。落書き多数。
もちろん係員とかいるはずもなく(ボリビアだから)
機関車とか登り放題。
なかには車輪を転がして遊んでいるグループも。
ここまで自由にされちゃ、保存もなにもないだろうけれど、遊んでるこっちとしては楽しくてしかたない。

ここで30分ぐらい遊んで見学して
「さぁウユニだ!」

とーーー
思ったら、さらに小さい村に行き、そこでお土産購入タイム&昼食。

この村、退屈かと思ったらそうでもない。
なんと家のほとんどが塩でできてるのだーー
わーーい。すごいなーーー
塩の家建築中
・・・・・で昼食。
まぁ可もなく不可もなく。おいしかったですよ。(え?なにか?)

昼食後も早々に切り上げて
ついに。
ナオキくんついにですよ。

ウーユーニーー
塩も採取してます。
到着。
一面真っ白!と思ったらそうでもなく、ちょいちょい黄ばんでる。
それでも見渡す限りの白!
周りのみんなはサングラスしてたけれど、ゲレンデで慣れてる俺はサングラスなんて要らない!
(本当の理由は、メガネだからサングラスできないんです・・・・・)
眩しい!
この日は雲ひとつない快晴。

しかしここはまだ入り口だった。
さらにウユニ塩湖を突き進み、塩湖の真ん中のホテルに到着!





あまりに回りになにもなさすぎてナホさんと
「ここじゃないよね?」
「まぁさすがにね。ここ真ん中過ぎるでしょ」
・・・・・
ガイド「泊まる人~~こっち来て~~」

ここかーー

まぁ楽しそうだからいいけど。
周りのみんなはタダの見学だけ。宿泊者はたったの二人。
ここに一人の人もいたとか・・・・考えただけで寂しいな。

見学組みと別れを告げ、そしてナホさんと暇つぶし。
ウユニで暇つぶしとか贅沢だな。
トリック写真撮ったり
帽子に入ってみた。
ただ塩湖撮ったり
飛んでみた。
ジャンプしてみたり。

やりたいこと全部やったのに、夕日まで時間がまだまだ!
とか言ってるうちに見学者もいなくなり、ホテルの人と俺達だけになった。

ダラダラビールを飲みながら(高地だから回りが早い)時間を潰してたらあっという間に夕日の時間に。

すげぇキレイ!
しかも全然障害物がないから地平線のギリギリまで太陽が出てる。
だから自分の影がこの上なく長くなってるー
これで影鬼とかマジ鬼畜。
とか考えてたらあっという間に沈んでいく・・・・
インドの砂漠で見た夕日の越えるかも。

夜はもちろん電気なんてないのでロウソクで食事。
量も味もそれなり♪

そんで「星でも見よう」と思って外に出ると・・・
明るい!
なんとこの日は満月。
月の光がウユニ塩湖に反射して夕方以上の明るさ。
もちろん影もできるし、本も読める。
星が見れなかったのは残念だけれど夜のこの明るさは感動的だった。

翌日は8時くらいに起床。
朝日とか全然見れなかったー
意外に整ってるでしょ?(塩のホテル)

もうウユニも見飽きた。そろそろ別のシュチュエーションで見たいな・・・・
と思ってたらガイド出現。
ここでナホさんとはお別れ。楽しかった!ありがとう~
普通に撮ってみた。
ここで乗り込んだバンが意外におもしろかった。
面子は
ボリビア人1名、スペイン人2名、フランス人3名、俺、ガイド。

俺以外の人はみんなスペイン語達者。
だから俺が入る前はスペイン語で話してたみたいだったけれど、俺が話せなのでみんなで英語で話すことに。
みんなの英語のスキルが、俺と同じくらいだったので、すごく楽しく会話ができた。

ネイティブとかいないほうが英語の会話は楽しいんだよな。
あのネイティブの「お前英語しゃべれないだろう?」的な考え全然みんな持ってないから。
下の模様がいいでしょ?
昼食をとって、ウユニ塩湖にある「魚の島」へ
最初俺は島の頂上登るの面倒くさいと思ってたんだけれど、ボリビア人のおっちゃんの強い勧めによって登頂。

それからの
絶景。
島からの絶景
360度塩湖。
白いよーーー
でもって、
焼けるーー
サボテンがすごい。
そう、ここウユニかなりの紫外線量。
最初はそんなでもなかったんだけど、顔がヒリヒリしてきたー
ちょっと遠くを見つめてみる。
ウユニももう終わり。
最後に飛んだり跳ねたりして、ツアーは終了。

日本人がいなくて楽しくないかもとか思ってたけれど、いいメンバーに囲まれてすげぇ楽しかった。

そしてそのあとは
あの「おそろしく揺れるバス」に乗車。

意外に寝れた。インドで鍛えただけあったかな?

さぁラパス到着。
ついに最終目的地「ブラジルに留学してる友達の所」に向かう旅が始まる。

2010年11月19日金曜日

ウユニへの道

ウーユーニー

行ってきました。
ちょっと前のエントリーにさせてもらいます。

あれは
11月19日から話は始まる。

ラパスからウユニへは列車で行くことにした。
その理由も
「バスが恐ろしく揺れるから」

バスは朝到着し、それからすぐにウユニツアーを申し込み塩湖へ出発
というハードスケジュールになってしまうため、列車で前日の夜”揺れも無く”ウユニの町に到着して万全の体制でウユニに挑むのが目的。

列車があるなら、列車乗りたいな~
という中途半端なノリ鉄魂も発動し、列車で行くことになった。

列車はラパスからではなく、オルーロと言う町から出発する。
そこまではもちろんバス。
まぁ4時間くらい。
そんなに揺れもなく、時間もかからず、なんか出だし順調。
オルーロ行きバスからの風景。やっぱり自然がすごい。

オルーロに着き、すぐに列車の駅に向かうがまだ出発1時間前。
昼の時間は少し過ぎていたが、近くの市場に昼ごはんを食べにいくことに。
小さい町の市場の割にはいろいろそろってる。
恐怖の昼飯。
市場に行ってみると、何軒かまだ営業してた。
その一つにトライしてみる。
出てきた雰囲気が
”こないだ豚が当たった屋台”と一緒。
ここで葛藤
「あ~ウユニで腹痛で死ぬとかありえん」
「いや~毎回毎回当たることはねぇだろう」
「でもこないだの豚と同じ雰囲気だよ・・・」
この間約10秒

食べました。

味は相も変わらず可もなく、不可もなく。
これ大事ね。

そのまま列車の駅に向かうと、おなじ列車に乗る日本人の”ナホ”さんもいた。
これ以降、ウユニの塩のホテルまでナホさんと一緒に回ることになる。
ボリビア鉄道(?)真ん中に乗車口があるのが特徴
列車は意外にキレイ。
しかーーーし
ここで問題発生。
なんと俺の席、
通路側なんです(涙)
全然動画取れないし、写真も取れない・・・・
最悪。
まぁこれもなんかの試練ですよね。

さらに出発するとさらに試練が!
ふて腐れてIPOD聞いてたのに、大音量で意味のわからない映画を放映し始める。
スペイン語も英語もわからないのに、なにを見ろっていうんだ!

大音量過ぎて、音楽も聴けないし、映画も面白くないし。外も見れないし。
列車からの風景。ちなみにこの後夕日も見れました。
と愚痴ってるうちに、ウユニ到着。(早っ)
たったの7時間だった。
なんだかもっと乗っていたい感じもしたが・・・・

ホテルは我らの「歩き方」に載ってるホテル。
シャワーがちょうどいい温度だった。

晩御飯は屋台のハンバーガー
これを侮ってはいけません。
めっちゃうまい!
昼の市場なんかより全然。
こりゃ、あたりだな。

翌日、7時に起床し、早速ウユニツアー探しへ。
ちなみに”探す”をスペイン語では「Buscar」という。

ナホさんがいろいろと情報を先に得てくれていて、俺は着いていくだけ~
ダメですね、誰かといると。
自分で動けーーーー
そんでナホさんと同じツアー会社の
「1泊2日ウユニツアー ウユニ塩湖の真ん中のホテルに泊まろう!」←勝手に名前付けた。
に決めた。

さぁついにウユニ塩湖に出発だ!

2010年11月18日木曜日

マウンテンバイク

ラパスに未だに滞在中。。。。
ラパスに来た時一緒だった、韓国人のジュン君もウユニに行ってしまった・・・・
いつまでいるんだ俺・・・・

とーーー
暗そうですがーーーー

明日出ます。ラパス。
(おそらく)ウユニで2泊ツアーでも行ってきます。

これからの報告はさておき。
こないだ、マウンテンバイク乗って来た!

マウンテンバイクに普通に乗ってきたわけではない。
もちろんそれなりの道を走ってきた。

今回行ったのはその名も・・・・
DEATH ROAD TOUR

このツアーはその名の通り、死ぬかもしれない道をマウンテンバイクで激走するツアー。
数年前には外人が死んでるらしい(・_・ブルブル)
申し込みの時点で、「こんなツアーだから高いバイクにしたほうがいいかな??」とか思っちゃうくらい怖い。
行きたくな~~~い。

とかはならずー
もちろん最安値バイク。しかも値切る。
ちょっと楽しみ、半分ピクニック。

当日、スタート時点での注意。

  • ガイドを抜かすな
  • 追い抜きは外側から
  • レースじゃない←これ重要!
とガイドに言われたんですがー

外人たちとガッツリレース。もちろん負けねぇ。
最初の道は普通に舗装された道路。
しかも結構急な坂でスピード出る出る。ハンドルガタガタ。
下手したら死ぬかな?でもガードレールあるから大丈夫かな?
ってくらいのスリル。

ここまでは良かった。

そっからマウンテンバイク用としか思えない、細い、ガタガタな道に突入。
そんでもって天候が怪しくなってきた。
というか
そして

俺のメガネに水滴付いてタダでさえ見えない視界を霧がかき消す。
左側は崖。
落ちたら死ぬらしい。

「あ~やべぇ」とか「帰りてぇ」とか思ったけど・・・

無事ゴーーーール

最後の坂がきつかったけど、すげぇ楽しかった。
スリル満点。
あんなの日本でやったらなんかの規制にひっかかりそうだなってくらい自由だったな~

2010年11月17日水曜日

市場とプロレス

ラパス2日目。
一緒に来た韓国人のジュン君は風邪でダウン・・・

ホテルにいた日本人のコウイチさんが
「市場とプロレス行くけど一緒に行かない?」
と行ってくれたのでもう一人日本人を加え3人でお出かけ。

まず向かったのは市場。
この市場ラパスの町を一望できるところにある。
なんてキレイなんだろ~~

肝心の俺達の目的は・・・・泥棒市場!
泥棒市場にはその名の通り盗まれた商品がたくさん並んでいるという。
しかし違法なのでかなり奥まったところにある。

らしい。

コウイチさんと俺はそれぞれIPOD TOUCHとIPOD NANOを探すことに。
でもなかなか見つからない。
というかそんなことより市場が面白い。
それこそ何でも売ってる。

服、食べ物、電気製品、家具、リモコン、携帯電話、電球、日本のアニメのポスターetc
なんでもあるってこういうこと言うんだなって思った!
のに
IPODがない!
どこ探してもない・・・・
泥棒市場は伝説だったのか。
そんな雰囲気がでてきたときに、ちらっと発見!
行こう!
と思ったが、腹が減りすぎてそれどころではなかったので先に昼飯。

昼は豚を食べた!(これがあとに悪夢となる・・・)

すぐ昼飯を食べ、一路IPODへ。
しかし、どれも新品or高値。
とても買えるものじゃなかった。
まぁ日本帰ったらクレジットカードのポイントでIPODもらえるからいいかー(でも今欲しかったな・・・)

またフラフラ歩いて、プロレス会場へ。
チケット買うまで1時間以上待たされたーさすが南米タイム。

会場に入り、待つこと約30分。
試合開始!

これがめちゃくちゃ面白い。
全くガチじゃない。
技はあたってもないのに痛がるし、悪者とレフリーが絶対仲間。
でも最終的には良い者が勝つという。
なんともコントみたいなプロレス。

それでも現地人は、大きな声を出して悪者を罵倒したり良い者を応援したり。
かなりガチ。

数試合すると原住民風な服を来た女性ファイター参上!

もちろんこの試合も良い者役の女性ファイターが勝つ。

そしてメイン(勝手に俺達が決めた)試合おばちゃんファイターの試合。

この悪者が超悪い。
観客を罵倒したり、平気で反則(そもそもルール自体曖昧)したり。
水かけたり、場外乱闘したり。

それでも良い者のおばちゃんはがんばる!
レフリーが敵だけど、観客の応援を背にがんばる。

しかーし
悪役最後の手段、木箱を持ってきた。
そして良い者おばちゃんの頭を
バコーーーン
良い者おばちゃんは出血し、まさかの良い者敗北。

これには会場もどよめき。

さらにもう一試合あったんだけど、ここでも悪役が勝つ。

さぁ最後の試合で良い者が勝つんだなって思ったら・・・・・
まさかのココで終了。

おい、オチをどうにかしろ。

それから日本食を食べに行った。
久しぶりの寿司~
久しぶりのワンピース~

おいしかった。
楽しかった。

・・・・・翌日
朝起きると、胃に激痛が(・。・;)
ありえないくらいの激痛。そして下痢。
昼になると、熱、頭痛。
夜になってようやく収まり、
翌朝には回復。

総合的に考えて、市場で食べた豚が原因。
最悪ーー

2010年11月14日日曜日

太陽の島(Isra del sol)→ラパス

日の出を見よう!とがんばって起きたジュンくんですが、残念ながら起きたときには太陽は空高くあったそうです。

夜もそんなに夜更かししてないので、8時くらいには目が覚めた。
農家の人

それからちょいちょい準備してー
10時には出発。
コパカバーナに戻る船に乗る。(20ボリビアーノ)

10:30に出発の予定が過ぎても全然出発する気配がない。
こんなときどうするか。
船体を叩いて
「Dies Media!!(10時半)」
と叫ぶ、叫ぶ、隣の人と、向かいの人と、叫ぶ。
そんなことしてたのにもかかわらず、出発は11時過ぎ。
仕方ない。ココは南米なのだから・・・・


行きの船が優秀だったこともあり、帰りの船が遅い遅い。
なんたる遅さ。
「これじゃ行きは1時間だったけど、帰りは2時間だね」
って言ってたのがそのまま現実になった。

前日に買っておいたラパス行きバスは1:30出発。
現在時刻は、12:30!

ゆっくりご飯食べれるねーと余裕をぶっこいてた。



入ったレストランがものすごくスローなお店。
注文してから食べ終わるまでかかった時間は
50分。
1時間ー50分=10分

ヤバイッ!

ちょっと急いで、バスに乗り込んだ。ギリギリセーフ
結構なオンボロバス

良かったね~
と安心していると、急にバスがエンジン停止。
「あ、よくあるエンストね」
と思ってたらなんかスタッフが説明しだした
「え~自転車の大会があるんでここで1時間半待ちます」

は?
新しい展開だな~と関心。

寝たり、話したり、ゲームしたり・・・
結局2時間30分待たされた。
これが2時間半待たされた自転車レース。(たったこれだけ
まぁいいか。

バスは山道を登っていく・・・


そして到着!・・・?

湖を渡るんだけど、ココは橋がない。
よってー
船で渡ります。
バスはバス。人は人で別々のボートへ。

バスに再度乗り込み、ラパスへ再出発!

7時くらいにはラパスに到着し、宿泊予定だった「エルソラリオ」もすぐに見つかった。
ラパスは治安が良くないって聞いてたけど、そんなかな??

クスコ→太陽の島(Isra del sol)

正味一週間もいたクスコともお別れ。
やっぱりホテルの人にチェックアウトするって言ったら
「WHY?」
って言われた。
1週間以上滞在して、スタッフと仲良くなるといつも言われるんだよな・・・・ちょっとうれしい

クスコからまずはコパカバーナへ!

今回の移動は韓国人のジュンくんと一緒。
彼は日本語ペラペラ。英語上級。スペイン語中級。
という、バイリンガル!
俺も英語話したくないから最高の旅の仲間です♪

バスチケットは旅行会社で購入し、彼らの話だと
「コパカバーナまでダイレクトだよ。バスも一緒。しかもベットシートだし乗客は旅行者だけだよ」
ってことだったんですがー

まず、乗客の半分以上は現地人。
シートは倒れるけど、全然ベットシートじゃない。
さらに
コパカバーナの前にプーノってところで乗り換えなくちゃいけない(朝4時)
そしてもちろん同じバスじゃない。

まぁこんなもんですよ旅なんて・・・・トホホ。。。。

ようやく到着した、ボリビア!
後ろに見えるアーチがペルーとボリビアを分かつ。

ボリビアといえば!
・・・・
特にないですねー(笑)
そもそもマチュピチュ以外大して南米について調べてきていない自分が悪いですけどねっ

ティティカカ湖は汽船が運行する湖では世界最高高度(っていうの?)にある。
日本最大の湖”琵琶湖”の約23倍!
大きいですねー

コパカバーナはその湖畔にある町。
近くに太陽の島があることで有名で、それはもちろんティティカカ湖に浮かんでいる。(陸地)

ティティカカ湖を見たけれど、めっちゃ青い!
こんなに海(海じゃない湖だ)が青いのは久しぶりだな~
そして空が近い(ような気がする)
遠くにはアンデスの山々。
左側の船に乗りました。

こんなに自然豊かなのはボリビアいい国だな~

コパカバーナに着く前のプーノで韓国人の女の人(お名前忘れました、すいません)も合流し、3人で太陽の島に行くことに。

一軒の旅行会社に入り、船のチケットを購入。
さらにまぁ大丈夫だろうってことで大きい荷物はこの会社においていくことに。
さぁ行こう!って時にサプライズ!
「こいつの船で行くから。」
と一言。

そいつの風貌からして、絶対小さい船だ・・・・
やばい。沈没とかしたら最悪だな。
それは無くても揺れがひどかったら嫌だな・・・

とか思ってたら、
意外にいい船!そして、普通の観光船よりず~~っと速い。

疑ってごめんね。

船では写真撮りまくり、


約1時間で太陽の島に到着。

かな~り登ったところに宿を取り、観光へ。
特に大きい島でもないし、見所もそんなに多くない。

唯一と言ってもいい観光地”太陽の神殿”へ。

「近くだよ!」って言う宿の人の言葉を信じた俺がバカでした。
歩いて1時間かかりましたー

よくも悪くもない。
この微妙な感じ。
誰もいないインドの観光地を思い出しました。

さぁ夕日を見に行こう!
としたら
曇りだす。
誰だー雨男!

駄々こねてもしょうがないので曇りの夕日を見ながらディナー

うまくもまずくもなかったよ。

夜はみんなでトランプして寝ましたー

ボリビアいいかも♪

2010年11月11日木曜日

博物館

さすがに、やることがないので博物館に行ってみることに。
1週間も滞在してはじめての博物館!

ワクワクドキドキ

目的の博物館はちょっと遠い。
でも時間があるから歩いていくことに・・・

いつものAV.SOLを歩いていると、中央分離帯と歩道になにやら怪しい人物が・・・
なにかと思ってしばらく観察していると、彼らは「横断歩道を使おう!」キャンペーンをしていた。
ちょっと近づいて撮ってみた。
こうやってだんだん町全体でマナーを向上させていくんだなぁ。

もう少し歩くと、博物館が見えてくる。
博物館へ行くための坂を上る途中、ベンチがあったので少し休憩。

すると隣に座ってた老夫婦が話しかけてきた。
「どっからきた?」とか「クスコのどこが好きだ?」とか「日本からペルーまでどれくらいかかる?」とか
覚えたてのスペイン語とジェスチャーを駆使してやっと会話ができた。
難しかったけど楽しかったー
俺の下手なスペイン語で話してくれた老夫婦。
この老夫婦とも早々に切り上げ、ついに目的地”博物館”へ!
やったー!着いたー!
チケットを買って入場。

なかは半分教会、半分遺跡みたいになっている。
インカの土台作りの技術の高さに感心!!
こんな技術をもってた帝国も列強に負けちゃったんだよね・・・なんだか寂しい気持ちになりました。
本当に剃刀一枚通さないかもって思わせてくれた壁
ホテルに戻ると、おとといマチュピチュに行った、韓国人と日本人が戻ってきていた!
三人で昼ごはん♪
やっぱりみんなで食べるとおいしいな!

あと報告!
明日クスコを出そうです。
やっと次へのめどが立ったー

旅再開!

2010年11月9日火曜日

クスコ 夜の巻

クスコも(意外にも!)世界遺産に登録されている町。
昼もいいけど、やっぱり夜もいい雰囲気。
ヨーロッパもそうだったけれど、やっぱりオレンジ色の街灯がいい雰囲気出すな~って思う。
宿から見たアルマス広場
クスコは6:30pmで十分暗い。
なんでだろう?山に囲まれてるからかな?

噴水もライトアップされててすごいキレイ!昼間とは全然違った雰囲気。
それでもポリースがたくさんいるから、そんなに危ない感じはしない。いいところだ。
やっぱり裏道に入ると、後ろを警戒しなくちゃいけなかったり、カメラは基本的に首から下げない方がいいとか、最低限の防犯はしてます。
首絞め強盗とか、スリとか危ない話ばっかりだけど、最低限の防犯でかなり防げると思う。
それでもやられるときはやられる。
信頼できる宿に泊まってるときはパスポート類とか宿においておくのが無難。

もう出発から6ヶ月もたつからこんなこと書けるんだな。ちょっとは成長してるのかな?

最後にポリースのおじさん。
この人めっちゃいい人で、修学旅行?と思われる集団に記念撮影を頼まれてた。
もってるカメラの数10以上(推定)!!
でも嫌な顔しないで一生懸命撮影してあげてる。

いい人だーーーー

なかなか治らない風邪

マチュピチュから帰ってきて、風邪を引いた。

インドでのそれより、ウィーンでのそれよりずっと楽なんだけれど、全然鼻水が止まらない。
ほこりっぽいのがダメなのか、それもとココ特有の風邪なのか・・・・
とにかく!
この鼻水が止まらないと、次の町には行きませんっ!!

鼻水以外は全くもって健康なので、ちょいちょい外に散歩にでる。
そろそろ滞在1週間にもなろうかというクスコの町を紹介しま~~す!


まずは町の中心”アルマス広場”
ここは市民の憩いの場になっていて、いつもたくさんの人で賑わってる。
さらにうれしいことにココにはクスコのツーリストポリスが常に見えるところにいてくれる!
観光する上でこんなに安心なことはないな。

ち・な・みに。
今まで行った街で一番ポリスが多いな~って思ったのはミラノかな?
ドォーモ前の広場に武装警官いたからな・・・・
イタリア人曰く、「あいつらバカ。カメラ向けたらポーズしてくれるくらいバカ」って言ってたけど。

なんでも市場~
正式には名称があるんだろうけれど、興味も必要もないし、そもそも市場がココしかない(と思う)ので市場って呼んでる。
服から食べ物まで大概のものはココで売られてる。
道端で買う、あのフルーツも・・・・・そんなことは気にしない。あんまり気にしすぎるとやってけない。

ここのおすすめは、食べ物コーナー。
なんとランチが3.5/s(大体100円)で食べられる!

しかも”まずくない”←ココ大事。

食べてる途中に野良犬が下に落ちた食べ物食べてたり、隣の現地人と肩が触れ合ったり、目の前のおばちゃんがジブリ風だったりするけど、至って普通。
そんなところで安く、しかも!”まずくない”昼飯があるなら行きますね~
みなさんも行きましょー
観光客用の店は高くてしょうがない。
大体この市場の2~3倍の値段。マジやってらんねぇ。
こんな笑顔にも出会えます。

んな訳で、クスコ滞在楽しんでま~す。


いつまでいるんだか・・・・

2010年11月7日日曜日

マチュピチュピチュ パート2

ワイナピチュに登るため、前日にモーニングコールを頼んだのに全く起こしてくれず、結局起きたのは5時。

ワイナピチュには一日400人(午前200人、午後200人)ずつしか登れないので、急いだほうがいいという情報は得ていた。
一緒に来た二人より一足先にチケットを買って、バス乗り場へ。

バス乗り場で二人と落ち合い、マチュピチュへ。

ワイナピチュの入り口までマチュピチュの中を通るんだけど、そんなの全然見ず、走る。

ワイナピチュの入り口に到着!
するも、「スタンプがないと入れないかもしれないよ~」と日本語を話す中国人の人に言われ不安になる。

とにかく、今は列に並ぶしかないので、列に並び15分ぐらいして俺達の番が来たけれど、全く問題なくワイナピチュに入れた!
しかも、200人もいないと思った。

ワイナピチュ登山も結構ハード。
1時間くらい登って、やっと頂上についた!

もう絶景。
マチュピチュが見えるのもいいけど、周りの山々が雄大。
しかも遠くには雪が被っている山も。

登ったばかりの時は、マチュピチュに雲がかかってた。
それがだんだん晴れてきて、最終的にはマチュピチュの後ろの山まで見えた。
天気にも恵まれ、雄大な景色を見ていると、あっという間に時間が経って3時間くらい山頂にいたのかな?

そこからまた下山し、今度はマチュピチュ観光。

よくもまぁこんなところにこんなものを作ったなと。
段々畑も太陽の光を十分あたるようにできてるし、家組みもしっかりしてた。

マチュピチュにはたくさんの石が使われてるんだけど、俺は最初全部どこかから持ってきたと思ったら、マチュピチュのど真ん中に採石場があった。
これだったら都市建設もかなり楽だったな。と実感。

最後によく写真で見るところに行った。
マチュピチュキレイだな~と実感。
それと、やっぱりマチュピチュはすごい!と思った。

今までいろんな遺跡を回ってきたけれど、マチュピチュは別格。
自然と、遺跡がうまく混ざっていて、最高だった。

これで、俺の旅の6大目的地のうち5個コンプリート。
残るはアマゾンに留学している友達のところだけになった。

いよいよ俺の旅も終わりが見えてきたな。

2010年11月5日金曜日

マチュピチュピチュ

クスコに到着し、アジアで出会ったジュンさんとヒロコさんと一緒にマチュピチュに行くことに。

俺にとってはかなりの弾丸。
1日の昼間にクスコにバスで到着し、翌2日にマチュピチュへ、3日マチュピチュ観光、4日クスコへ帰還というハードなもの。
書いてみるとそんなでもないかな?って思うけれど、どーでもいいような町(サカテカス)に6泊もするようなダラダラトラベラーにはしんどい・・・

そんなハードなマチュピチュ遠征記録。

はじまりはじまりー(はくしゅー)

1日
前日夜まで大富豪(トランプゲーム)を夜中までやってたので、朝7時起きが辛かった。
そんな辛いそぶりは全くさせない世界一周人ジュンさん。となんだかんだ言って意外に元気なヒロコさん。
ホステルから見たクスコ。キレイでしょ?

クスコからマチュピチュには列車で行くのが一般的。
でもバックパッカー達は地元の人々が使うバスを乗り継ぎ時間はかかるけど、値段は安い、そんなルートでマチュピチュを目指す。
もちろん我々もそのルートをたどるべく、最初の経由地オリャタンボを目指す。

ホテルの人に行き方を紙に書いてもらい、タクシーでコレクティーボ(相乗りバン)の乗り場まで行くことに。
しかし教えてもらったところに行っても目的のコレクティーボがない!
やばい!
早速頓挫か!?



なんて言っても、我々3人はバックパッカー。そんな簡単には折れません。
必殺現地人に聞く技
俺「オリャタンボ行きたいんだけど」
現地人A「じゃあコレクティーボに乗りな」
俺「それは知ってるんだよ、ここから乗れるの?」
A「ここから乗れるさ。でもここにコレクティーボがくるときはすでにパンパン、始発のところまでタクシーでいきな。ちょっと待ってろ」
といいその現地人Aがタクシーの手配までしてくれる。
現地人ってのはたくさんの情報を持っているのと、なによりいろんなものに、安く乗れる。
もちろんそのタクシーも現地価格(と思われる)で乗車。

5分で到着。
降りたらすぐにコレクティーボが見つかり、第一関門突破。(ちなみに、マチュピチュまで何個か関門があります。)

1時間30分ほどコレクティーボにグラグラ揺られ、それでも寝不足の俺達は爆睡。
目が覚めると、そこはオリャタンボ駅の前だった。


ここオリャタンボはマチュピチュ行きの列車のメインの発着駅でもある。
ここからもう3つ町を経由しマチュピチュに行く。

駅近くの現地人に「電車で行け!」といわれつつ、「俺達はそんなにお金がないんだ!」と振り払い次の町へのバスを探す。

しかーし!
これがなかなか見つからない。現地人に聞いても「ココで待ってればくる」とだけ言われ、ひたすら待ち続ける。
もう時刻は12時を回るころ。
次の町へのバスは長距離なので、お昼を食べておこう!ということになり、レストランへ。

この日は天気もよく、外でご飯を食べてるとペルー人の女の子(大体15歳くらい)登場!
ペルーガールB「写真撮ってもいいですか?」
俺「へぇ?俺の?別にいいよ~」
B「いいって~~」
と友達を5人くらい呼んできてあっという間に俺達日本人3人は10代の女の子達に囲まれた。

なんだ?

と思っているうちに撮影会は終了。最後にはちゃっかり先生とも写真撮っちゃった。
日本人は珍しいのかな?

また広場に戻ってバスを待つ。待つ。待つ。末

ツーリストオフィスに行ってみると、いろいろ教えてくれた。

  1. 次の町へは約5時間
  2. バスは一日2本9am、3pm
  3. 3pmのバスに乗った時点で次の町からのバスは今日はもうでない。

今日中にマチュピチュ到着したい日本人三人は、ここでバスでマチュピチュに向かうのは断念。急遽列車で向かうことに。
列車のオフィスに行くと、19:30、23:30の列車があった。
もちろん早いほうの電車のチケットを買おうと思ったのだが!売り切れだったー最悪。
もう選択の余地はないので23:30の列車のチケットを購入。マチュピチュ村到着が1時になるので、野宿をしようとココで決める。

そこから約6時間の待ち。
今大ブームの大富豪をひたすらやってた。

そんなこんなでWaiting Roomで待っていると、どんどん現地人が入ってくる。
現地人価格<ツーリスト価格なのはわかっているんだけど、やっぱり知りたくなるのが人心。

で、ちょっと聞いてみた。

現地人価格はなんと!10ソル(約3ドル)
まぁこんなもんだよな~って思った。
(参考 ツーリスト価格95ソル、約35ドル)

列車に乗り、日本人三人組はすぐに横になり眠る・・・

・・・・・おい。マチュピチュだよ。
一瞬でマチュピチュに到着。時刻は1am。しかもなぜか電車は道端らしきところに止まる。

屋根があるところで朝まで過ごす予定が扉が開いている建物が警察しかない。
さすがに野に寝るのは危険すぎるのと、シュラフをもってなかったので、客引きを捕まえる。
クスコで仕入れた情報だと、最安値は40ソル。
そしてその客引きの言い値は・・・・一人20ソル!
普通は値切りとかするんだけど、誰も値切ろうともせず、部屋だけ見て就寝。


明日は4時30分におきて、ワイナピチュに登ろう!!

2010年11月2日火曜日

クスコ

リマをさっさと出て、クスコに到着!!

CIVAってバス会社でリマからクスコまで約22時間。
夜寒い。
寒すぎて悪魔が夢に出てきた・・・・

どこかの市場・・・
友達「この子供たちビデオで撮っても写らないよ」
俺「そんなことないじゃん」
覗き込む・・・
俺「うわ!マジで写ってない」
現地人A「この子たちは悪魔に呪われた子供たちよ」
現地人B「あなた寒くない?」
俺「そういえば、今めっちゃ寒い!でも全然鼻水とか出ない。」
現地人A「それは悪魔の仕業よ・・・・」
で夜中のバスで目が覚める。

やばい。「俺悪魔に殺される」って本気で思った。
暖かくできるだけして、丸まって寝てた。

そして目が覚めると・・・

ちゃんとクスコに着いてました。
本気で死ぬって思った。夢に殺されるとかマジ勘弁してほしいな

ここクスコもアミーゴで聞いてたホテルへ。

標高が高くて「ハァハァ」行ってホテルに到着。
宿のスタッフに部屋で話を聞いてると、見たことがある(らしき)バックパックが。
するとトイレから男が出てくる。

なんと!
北京、バンコクであったジュンさんではないか!!!

地球の裏側で4ヶ月も前に会った人に、ドミでたまたま同じ部屋になるとか、どんだけ運命なんだろう。
すごい。

で、ジュンさんが明日マチュピチュに行くということなのに、得意の金魚のフン作戦で付いていくことに
ホントペルーはあっという間だな~

ジュンさんとフジコさんと一緒にクスコ観光。

12角ある石を見に行ったけど、なにがすごいかみんなわかんなかった。

まぁこんなもんかって思った。
いつからだろう、こう思っちゃうようになったのは。
マチュピチュでは感動するかな?