2010年12月31日金曜日

2010年を振り返って。

2010年も終盤ですな。

日本ではみなさんどうお過ごしですか?

家族と一家団欒
彼女とデート
男友達とひたすら飲みまくる。

どれもいいですな~

ところでオレはパラグアイのペンション園田で新年を迎えそうです。

まぁやることもないので、今年一年を振り返ってみることにします。

今年の年明けは、年越しそばから始まった。
毎年恒例の年越しイベントを過ごし、いつもの一年が始まるはずだった。

年明けには成人式。これで成人の仲間入り!
って言っても全然大人になってない小学、中学の同窓生達。
久しぶりに会ったやつばかりで全然顔覚えてなかったなー

2月に入ると、休学して旅することが決定。
この辺から、いつもの一年じゃなくなってきたんだよね。
いつもなら、スノーボードに明け暮れ毎週ゲレンデ三昧だったのに・・・
今年はバイトもそんなにせず、ゆっくりしてたな。なんかが抜けてるような気分だった。
そんで2月終わりには約2年間続けたアルバイトも卒業。
最後の日に
「また帰国したら連絡して、採用するから」
って言われたのは嬉しかったなぁー
なんだか
「君今までちゃんと働いてたよ」
って言われたみたいで。

また戻るかはわからないけど。(←え?

3月は人生初の一人旅。ヨーロッパ35日間旅行。
これはいろいろ衝撃だった。
てか
英語が!英語が!しゃべれねぇーーー
ってとにかく毎日感じてた。
あと、ドミトリー変な人ばっかりだなとか思ってた。
この旅でオレのベースができはじめたんだな。
日本人、外人含めてたくさんの人と話した。
すげぇー楽しかった。

4月の頭に帰国して5月の頭にまた出国するまで、泥生活だったな。

今まで当たり前にあったバイト→ない
今まで当たり前にあった学校→ない
今まで当たり前にいた友達→わざわざ会いに行かなくちゃいけない
今まで当たり前だったたくさんのやること→ない

まさに一時ニート


オレ本当にこれでいいのかとか思ってたなぁ。

なんて思っているうちに、自宅の引越し作業完了と共に、出発。

5月初旬。
オレの人生を9分の5パイくらい。えーっと度数法で言うと100度くらい変えてくれる旅に出発。
両親に別れを告げ、大阪への夜行バスに東京駅で乗車して、パスポートなかった時はビビったー
本当にどうしようかと思った。
結局新宿まで父親にパスポート持ってきてもらったっけ。
あれ、なかったら全部延期だよ。
危なかったー

最初の国中国は、なんだか印象と全然違かった。
”日本人”のオレを毛嫌いするわけでもなく、無駄に歓迎するでもなく。ね。
このころはまだまだ旅行者として元気だった。
一つの都市に3日くらいしかいないで、到着した日から観光もしてたし・・・
今じゃ考えられんというか、あんなことしてたら今じゃ風邪引く。
体力が落ちたってことか。

6月に入ってすぐにベトナムに抜けた。
ら、

カメラ盗られたーーー

マジ最悪。
確かに、確かにオレもちょっと油断してたなってところはあるよ。
でもさ、でも

盗ったほうが絶対悪い。


ベトナム大っ嫌いになりーソッコー隣国ラオスの首都ビエンチャンへ
ここですばらしい出会いがあったなぁー
日本人旅行者6名とラオス人1名を加え楽しい楽しい夏休みが始まった。

学級委員A「川を浮き輪に乗ってプカプカと流される」
一同「チュ~ビング!」
学級委員B「毎日行った!」
一同「水浴び場!」
学級委員A「カズさんが道で寝てた!」
一同「ルアンババーン!」
(呼びかけ風に書いてみました)

とあっという間にタイに抜けちゃった。
あの日々は楽しかったなぁー

タイ国内はあれよあれよと南下し、あっという間にバンコクへ!
序盤ゴール~バンコクではお世話になりました!

もう7月。
月日が早すぎる。どんだけ早いんだ。
バンコクからアンコールワットだけ見に行ってカンボジアは終わり。
インドビザに架空の住所を書いて、冷や汗ものだったけど全く問題なく取得!
なんだかあわただしくバンコクを去ったのでしたー

7月の思いでの本番はこっから。
”恐怖の”インド。
騙されるやら、汚いやら聞いてたけど、そーでもない。
てか、慣れちゃえばケツも手で拭ける。どんだけ適応能力あるんだろう・・・

コルカタ入ってそうそう、日本人の留学生がいてそこにお邪魔させてもらった。
しかも誕生日会まで開いてもらっちゃって・・・ありがとう!


7月後半いろいろあったんだけど、大して面白くないからカット。

8月に初旬にはこれまで引いたことないくらい酷い風邪。
病院に言っても英語が理解できない。その上

医者「この薬はサンプルなんだ。だから薬代はいらないよ。2日後にきてね」
とかほざきやがる。(怒
内心「てめぇ、外人で試すんじゃねぇこの野郎!」
とか思いつつ
オレ「無料とは!ありがたい限りです。先生!
とか言っちゃってる。もう病気ですね。

インド人との小競り合いを日々繰り返し、やっと出会えた日本人。
しかも!
同世代ってこともあり、話が弾む弾む。
てか日本人で同世代だからじゃなくてアイツだったから話がはずんだんだよね。

バラナシあたりでナオキとかと出会ったのもこのころ。
この辺で出会ったやつらはこれからも付き合っていきそうだな。

9月に入ると俺もインドベテラン組みに入ろうかという勢い。
偽ツーリストエージェンシーにブッ込んだりしてた。なんだか楽しかったなぁ。インド人馬鹿にするの。

バンコク帰還。そして、アジア最後の地ソウルへ。
ソウルには友達がくるはずだったのに・・・・

来なかったーー

一生うらんでやる。
ってのはウソで。
それはそれで宿のやつとクラブとか行ってすごく楽しかった。
朝帰り当たり前。
ビールとか当たり前。
ネカフェで朝までゲームとか当たり前。
あれはあれで新しい体験だった。

ソウルから我が母国「日本」を飛び越し一路アメリカ・ロサンゼルスへ
憧れのジャンクフードの本場”アメリカ”
到着して最初に食べたご飯はハンバーガー
その名も・・・

IN&OUT

ここ今まで食べたハンバーガーでもトップ級の味だった。
アイスもポップコーンもハンバーガーも日本より安い!でもサービスが悪い。
まぁ値段と味は比例しなくても、値段とサービスは確実に比例する。

ロスの友達には国立公園とベガスに連れて行ってもらったー
アメリカ大陸はやっぱり自然だね。って実感した!
ベガスでは100ドルも負けてしまって・・・・

楽しかった。

この一言に尽きる!

10月に入るのと同時に、メキシコIN
3月のヨーロッパ旅行で出会ったメキシコ人の友達と再会!
すげぇ感動。
しかもそいつがまたいいやつで!
他のメキシコ人を紹介してくれたり、アエロメヒコの友達紹介してくれて、安い航空券くれたり!

そのメキシコ人が紹介してくれた、人のおうちに行くともうこれが優しくて!
おばあちゃんが日本料理店連れてってくれたり、
そいつの彼氏が毎日車だして町案内してくれたり、
お母さんが「いつでも帰ってきていいよ」って言ってくれたり、
最後には涙まで流してしまった・・・・くらいすごいいい出会いだった。

でもメキシコのいい出会いはここで終らず、サカテカスではシゲさん、シゲルさん、サブローさんに出会い一気に毎日が楽しくなった。
メキシコシティのペンションアミーゴは居心地最高だったなぁ!
信長の野望を一日中やってたのが懐かしい・・・

って言ってる間にリマに飛び11月に入る。
クスコに行き、宿にチェックインすると・・・・
北京、バンコクで会った日本人のジュンさんとまさかの再会!
なんと、すごい・・・
逆回りで回ってきた人同士が出会うなんて・・・・まさに奇跡。
勢いでマチュピチュ行ったら、もうそれはそれは。すんばらしい!

マチュピチュ後はこの旅3回目(?くらい)の風邪。
明らかに体力落ちてる・・・帰ったらランニングしなきゃな。
そっからラパスか。早いなぁ。もうラパスだよ。
ラパスでも結構いいメンバーに恵まれ、それはもうまさに

高校生

でしたね、ノリが。
残念ながら淡い恋物語とかはなかったな(残念)

そっからウユニ塩湖だよ。あのナオキが行きたがってたヤツ。
白かったー
しかも
広かったー


12月頭に最後の目的地ヤザワのところに到着したんだな。
もうやりきった感マンマン。

「すべてがこの瞬間に、そしてこの瞬間からすべてに。」

って名言もこのあたりで生まれる。

そっから辛い辛いブラジル突貫移動。
こりゃ大変だったわーなんだか自分の忍耐ってものを鍛えられた。

イグアすっげぇーーー
ってわけ。


一年こんな風に振り返ると、ホントにあっという間だったって気づく。
今とか、来週とか、来月とかしか考えないと1分、1時間、1日って意外に長いなって思う。
でも2ヶ月前、3ヶ月前、半年前、1年前って考えると、全部が昨日と同系列に並んであっという間に思うんだよね。

この一年はオレの人生を大きく変えたと思う。
別にこの旅をしない自分がダメ人間だったとか、あれは違ったとか思うわけじゃない。
今のオレは大学1,2年のときの自分を「もったいないことした」って思ってるけど、
でも当時のオレはそのときを、そのとき知ってる知識でがんばって生きてたから、それはそれでよかったと思う。

この一年
たくさんの人にあった。
たくさんの話をした。
たくさん考え、たくさん失敗して、たくさんの経験を得た。

俺まだ20年ちょっとしか生きてないよ。
でも、でもね、
毎年こう思ってるんだ。

「今年一年は俺の人生で一番いい年だった。」

と。

そして今年もこう思う。

「今年一年は俺の人生でとってもとっても大事で、充実してて一番いい年だった」

と。

今年一年支えてくれた人ありがとう!出会ってくれた人ありがとう!

みんなが今年一年いい年だったと振り返れますように!
来年一年が、またすばらしい一年になりますように!

2010年12月30日木曜日

太鼓太鼓太鼓

ペンション園田。

居心地いい~~
ヤパイ。
いい年末が迎えられそうですな♪

この移住地ではちょいちょいイベントがあるみたいでー
今回は

「太鼓!」

でもね、こないだの出し物は学芸会レベルだったんだって。
だからあんまり期待しないで出陣!

ペンソノ全員だから・・・8人くらいかな?
歩いて15分ほど。
日本人公民館(?)みたいなところに到着。
現地の日本人も続々到着。
みんな挨拶してるー
なんだかほのぼのだなぁ。

停電のため1時間ほど遅れて開演。
最初からすごい迫力!
「そうそうこれが太鼓」とか内心おもっちゃったりして。

途中に踊りとか入る。
かさ(?)踊り
これがすごいレベル高い。すごい。

途中休憩でコーラ補充。
そして5分で補充完了。
プラス5分で再開演。

なんだかねぇ、みんな楽しそうなんだ。
これが楽しかった。
やってる人が楽しそうだと、見てる人も楽しくなる。
音楽の力は偉大だぜっ!
この旅で学びましたー
獅子舞もでました。

フィナーレはものすごい迫力の2曲。
鳥肌たっちゃった。
日本で見るのとそんなに変わらないと思う。
いや、その辺の中途半端なやつよりすごいよ。うん。
スケールがハンパナイ。

地球の裏側で伝統の太鼓演奏を見れるっていう。
なんだかいいねー
日本は地球で生きてます。

2010年12月25日土曜日

クリスマスパーティ

フォスドイグアスを出発し、お隣の国のお隣の町の日本人移住区のペンション園田に滞在中。

で、
昨日はみなさん大好き!

クリスマス~

まぁ日本では”恋人達の”とかいう変な習慣ができてますがー
海外ではあんまりその冠言葉つかないのがちょっと好き。
てかこれが本場かって。

なぜかオレはクリスマス当日に移動し、そのペンション園田に到着。

すると・・・
ラパスで一緒だったマリさん発見。
というか感動の再会。

やっぱり旅の醍醐味って再会ですよ。

そんでマリさんといろいろ話していると・・・
「今日クリスマスパーティやりますけど、行きますか?」
一同
「いっきま~~す」

ホステルの人の車にみんなで乗車。
ワゴンに10人くらい乗ってたかな?
もうパンパン。
でもこの感じが合宿みたいー楽しい。

とか話しているうちに会場に到着。
あ、ちなみに枝豆は成長すると大豆になるらしいです。

会場はここに移住してる日本人の農場。
見える範囲全部その人の土地。すげぇー
農業用具が一列に並んでて、その姿はまさに
「はたらく車大集合!」
って感じ。
小さいころにあった「ボブとブーブー」?だっけ?を思い出した。

パーティって言ってもみんなでなにするわけでもなく、それぞれ話す感じ。
日本人移住区だから日本食もたくさん。
納豆巻きとか、なんとか巻きとか。
久しぶりの醤油もおいしかったなぁー

ちょっとお酒が入ったところで、目の前の池に泳ぎに行くことに。
水は・・・・まぁそこまで汚くない。
子供達が先に遊んでたのでオレもダイブ!
ちょ~~~気持ちいい。
暑い日には泳ぐに限る!

お次はバレーボール!
ご存知のかたいらっしゃると思うんですが・・・・
オレ球技が大の苦手。
もう、ボール来るなーとか願っちゃったりしてる。
てかなんで参戦してんだ?
でもやれることはやろう!というスタンスのもと、
オレの仕事は遠くに飛んでいったボール回収デシタ。
まぁがんばんないとね。いろいろ。

夜も更けてくると、アカペラ喉自慢大会とかあって、とっても楽しい一日でした。

今回も写真を撮ってません。すいません。

2010年12月22日水曜日

イグアすっげぇーー(アルゼンチン編)

ばぁーーーー。←とくに理由及び意味はありません。

ブラジル側の次はアルゼンチン側!
アルゼンチン側には、

  1. 出入国手続きが煩雑
  2. 遠い(バスを乗り継ぐ)
  3. ちょっと高い。(でもボートは乗る)
と三つの問題点があった。それがあった
俺は(今日は疲れてるかやめようかな・・・)
とーー
思っていると
スタッフ「アルゼンチン側のイグアス行った?」
俺「いいえ、今日行こうかなって思ってるんです。」
スタッフ「じゃあ70レアル(約3500円)でホステルからミニバンで、アルゼンチン側の国立公園まで行く。朝11時に到着して、出発は夕方7時。もちろん入場料も入ってるよ?」
スタッフ「どうす・・
俺「行く!!

はい決まり。
なんか流れきてんなー

それはそうと、ちょっと話はずれ、この宿に昨晩日本人がやってきた。
彼女は世界中旅してて、仕事は「ヒーラー」やってんだって。
それがさ、すごい人で俺がいろいろ考えてたことの最後のワンピースみたいな人なんだわ。
考えを押し付けるわけでもなく、
自分の知ってることだけを教えてくれるわけでもなく、
俺に知識をくれるわけでもない。

でもー
考える力をくれるんだな。
考える方向性をくれるんだな。
答え合わせしてくれるんだよ。

んーなんだか菩薩さんにあったみたいだな。と思ってたら
「あたし、悟ったよ」
と一言。全部納得。
やっぱりいるんだな”ブッダ”ってやつは。

まぁそんな人とイグアスを見にいくことになった。

宿の前に止まってるバンに乗って、一路アルゼンチンへ!!

入出国は簡単。だってブラジル人がいるし、全部やってくれる。
アルゼンチン入国に関しては、車から一切降りない。

快適~♪

国境から大体20分くらいかな?ミニバンで進むと
はい、

到着。
公園内入り口付近。ここは立派な公園。

これから6時間フリータイム♪

まず、最初に俺達はツアーデスクへ。
”いつもなら”ツアーなんて・・って思うのだけれど、今回はツアーを目指してきた。

その名も
「滝にボートで突っ込もう!ツアー」

イェ~~イ!ヒューーヒューー!
もちろん申し込む。しかもなぜか地球の歩き方に載ってる料金の半額。ん~~すばらしい。

「5pmまで船はやってまーす」
俺達「ハーーイ!」

この時点で少しハイになってる俺。
早く滝に突っ込みたい気持ちを敢えて抑えて、先に「悪魔ののどぶえ」へ

ここは昨日見れなかった横綱。
なんとしても見たい!というかこれみなきゃ帰れない。

結構長いし、たくさん運べる便利なヤツ
電車に乗って、さぁ、一番奥へ。
なんだかこの列車がディズニーランドにある「ウエスタンリバー鉄道」に思えてしょうがなかった。
俺あれ好きなんだよなー
なんだか開放感がある電車って好き。
一番好きなところは、昔の駅があるところ。なんだかね、すごくいい雰囲気出てるんだよ。
あー行きたい。
と言ってる間に、電車は最後の駅に到着。
ここから10分くらい歩きますね。
この辺はアマゾンと変わらないな・・・

一同「ハーイ」
※ツアーではありません。脳内の人々が言ってます。

だんだん歩いていると、滝の轟音が聞こえてくる。
この煙、滝つぼからの水しぶき
そして、しぶきが空まで上がってるのが見えてくる。
人がずぶぬれになってる。

そして・・・・

お父さん、こんなところ上から落ちたら死にますよ。
キターーーーーーーー

さすが横綱。
水しぶきが大雨のよう。
そんで、一番下が見えない。ぐらいの水しぶき。
とんでも無い水量。

スゲェー
しか言葉にできない。
俺のボキャブラリー少ないな・・・・でもいっか。

今まで見てきた中でもトップクラスにスケールがデカイ。
”莫大”ってこの水量のこというんだなって思う。

心が躍ったところで、ボートへ!
そこまでの道にも滝がいっぱい。
滝正面最接近
もちろん小さい滝があったり、
目の前で大迫力の滝があったり。
すごくいろんな自然が残ってた。

こんなところまで突っ込む。
そんで、ボート乗り場到着。

※注意 ここからは水でカメラが壊れるのを避けるために、写真撮影をしていません。みなさんの想像を少しだけ超えるものですので、自分が文章から想像できる1.5倍の体験ができると思ってください。

まず、最初にぬれちゃいけないものをナイロンバックに収納。
これで写真はもう撮れない。でも壊れない。

一番前がいいなーって念じてたら、俺の順番で
「はい、アナタからは次のボート」
キターー
思えば叶う。叶えば感謝する。
この循環大事。

次のボートはすぐに到着。
そして乗船、出発!

だんだん滝に近づいていく。
近づけば近づくほど、滝からの水しぶき、風が強くなっていく。
台風の暴風域なみの、風そして水!
そして
突っ込むーー

もうなにがなんだかわからないけれど、水しぶきと風にで息が苦しい。
でもすごい。
上から降ってくる水が痛いよー
でもすごい。
メガネが飛んでいくから、左手で抑える。
でもすごい。

あんな大きな滝をすぐ真下から水が落ちるところを見上げる。

ここに最高の風景があった。

すごく悪いんだけど、言葉が出てこないから自分で見にいって!

わーーって言ってるうちにボート終了。
泳いだようにビチョビチョ。(泳いでない。船乗ってただけ)

楽しかった。
てか本当に来て良かった。

最後に時間も余っているので、滝の上側にある遊歩道を散策。
ここもすごかった。
雄大だー
水の放射するところを真横で見れる。
そしてこの水量。
なんなんだ地球。お前すごすぎるぞ。

って感動に包まれまくって。
というか、感動しか生まれず終了。

あー本当にきてよかった

2010年12月21日火曜日

イグアすっげぇーー(ブラジル編)

散々迷った挙句、メキシコ帰国を延期にして決めた。

イグアスの滝

知らない人はググって見てください。面白いとおもいます。

とーいいつつ
ちょっとだけ説明。
イグアスの滝は、”ナイアガラの滝”(北米大陸)、”ビクトリアの滝”(アフリカ大陸)の世界三大瀑布のひとつ。
全長約4キロに及ぶ幅を持つ。
落差はそこまで高くない80m。
ブラジル、アルゼンチンにまたがっている。
・・・おれが知ってるのはこんな感じ。

もちろん自然世界遺産に登録済み。
そして南米大陸でも1,2を競う観光名所である。

サンパウロを出て約5時間くらい走ったところでバスが故障。
ブラジル多いなー
てかブラジル入ってから完全に流れがどこかに行った。
やることなすこと全部裏目にでるんだよな・・・


考えてるうちに修理完了。出発。

ブーーンと走っていると・・・
バスの故障が見せてくれた虹。
雲の切れ間に虹発見!
これもバスが故障して遅れたから見れたんだよね。流れ悪いんじゃなくていいだよね。
と勝手に理解。

今回は隣の席が空席だったので終始横になって寝てた。
横になれると楽ですねー

で起きたらフォス・ド・イグアス到着。
まだ朝6時ー眠い・・・

まぁバスターミナルにいてもしょうがないので、予約しておいたユースホステルへ直行。

これがうまくいった!
ほぼ待ち時間無く、間違えもなくバスを乗りつぎ到着。流れ来てるぞー

宿入るとまだ朝早かったらしく、ベットが空いてないと言うこと。
まぁまだ7時だし、しょうがないなと思い、シャワーを浴び、ちょっとネットで時間を潰し、国立公園へ。

ブラジル側は行き方簡単で、ホテルの近くを走ってる路線バス(みたいな?)のに乗ればいいだけ。
ここでも失敗はなし。流れ来てるぞー

国立公園の入り口”ビジターセンター”でチケットを購入し、入園。
入り口からは全く滝は見えず。
途中で野生の動物が横切るのを待ったりする。
ちょっとアマゾンのような森が広がる。

バスに乗ること15分くらい。
目的地のバス停に到着。
バスを降りるとすぐに滝の音が聞こえる。

ちょっと歩くと・・・
前面100度くらいこんな光景。
出たーーーー
スケールがハンパナイ。(←興奮しすぎてカタカナになっちゃった)

俺が今まで見てきた滝がただのシャワーにしか思えないくらいのスケール。
そんで滝つぼからの水しぶきで虹までできてる。
イグアすっげぇ。

ここはまだ序の口だった。
こっから幕内が出てきた。

ちょっと近くなった。滝下部のしぶきを見て。
遊歩道を歩くと、右側には大きな滝!
なんだか上から水滴が・・・と思ったら、滝の水しぶきが木について水滴になってくるらしい。
うわぁ。すげぇな。

ここで大関。
こんなん行くしかないでしょ?
滝の真ん中にせり出した、展望台。というか遊歩道。
もちろん行く。
そこが、もうね。すごいですよスケールが。
滝の水しぶきでみんなビチョビチョ。俺はカメラにビクビク。

どんな洪水でも日本じゃ見れない水量。
せり出した遊歩道の先端からは滝に水が落ちていくさまが目の前に見える!
なんだか人間なんてちっぽけなんだなって思うくらいだった。

しかーし!
横綱はまだ目視できない。
どこだー!!って訳ではなく、その横綱「悪魔ののどぼとけ」じゃない「悪魔ののどぶえ」って呼ばれてる最大の滝は水しぶきが高すぎでこの位置からでは確認できないのだ!

うーん。ちょっと悔しい。

ブラジル側で近くで見れるのでは最大かな?
帰るためにエレベーターの方に行くと!
あのデカイ滝の真横から見れる!
水しぶき大量。ズボン(水着)ビチョビチョ。あーー気持ちいい。

で終了。
ブラジル側は意外に少ないなぁ。国立公園にいたのも正味2時間くらいだったかな?
ブラジル側でもすごい!って思ったのにアルゼンチン側はこれを凌ぐスケールらしい・・・どんだけだ。

明日はその噂のアルゼンチン側と、念願の横綱「悪魔ののどぶえ」を見に行く!

あ、楽しみで寝れないかも。。。(笑)

2010年12月19日日曜日

市営市場

サンパウロ現在快晴!

絶好の洗濯日和なのにこんな日に限って移動日・・・あ~流れが悪い。

昨日はイグアス行きのバスチケットを買いに行ったのと、市場でご飯を食べた。
昔の日比谷線の駅みたい。

また旅を続けたいな~って思ったバスターミナル
俺にとってはサンパウロで一番大事な場所かも。
だって新たな旅のスタート地点だし。
バスターミナルは空港みたいにきれい。

サンパウロは比較的交通が整っててここまで地下鉄で行ける。
タクシー嫌い(みんな嫌いか)の俺としては最高。
だから都会は大好きだー

今回はクリスマスシーズンってこともあり、チケット入手困難を予想したが・・・

ん、問題なし。
今回はここのバス会社に決定。

それにしてもバス代高いな~
18時間くらいしか乗らないのに160/R(8000円程度)
ブラジルが嫌いな最大の理由。

ここでご飯も考えたんだけど、なんせ高い!
おしゃれだからいいんだけど・・・今の俺には必要ないな。

また地下鉄に乗って、サンパウロの中心(?)のセー広場へ。
サンパウロの象徴的教会。名前は・・・忘れた。
この辺から雨がシトシト・・・・
久しぶりの雨地帯で最初は良かったんだけど、やっぱり

雨嫌い。

晴れの方が断然いいね。

市場はちょっと地下鉄の駅から離れてる上、歩き方に載ってないから、ココからお尋ねタイム。

そこらじゅうにいる警察官に聞く。
「市場どこですかー?」
「まっすぐ行って左曲がって、右曲がって、左曲がって、まっすぐ」
「・・・わかりましたー」
次の角
「市場どこですかー?」
「ここまっすぐいって・・・・・」
を三回くらいやった。
そして

到着。
駅みたいでしょ?ここが市場。

なんだか立派。
グアナファトの市場を思い出す。
なんでこんなに立派なんだろう。
フルーツと言ったら三上フルーツだよな。

奥の方に行くと目的のハムサンドエリア。

何軒かお店があって、そのなかでもちょっと混んでるところを選択。
だって空いてる店は絶対おいしくないから。

注文して待つこと5分。
このハムちょっと火が通してあって、美味!

出たーーーー
そして食べた。
おいしい!

お腹一杯食べて12/R(600円程度)コーラ込み
う~ん・・・やっぱり高い。
甘いものはやめられない・・・4レアル(200円)


フラフラ歩いていると、またオーケストラを発見。
今回はジャズ!

面白かったー
軍服オーケストラ。かっこいいな。

明日はイグアスに向かってサンパウロに戻ってくるのは年始かな・・・

2010年12月18日土曜日

リベルタージ

本日サンパウロ

湿度が激しく高いです。(←湿度ってこんな色じゃない?)
ホテル前からの風景。結構都会でしょ?

  1. だから洗濯物が乾かないー
  2. 汚い服しかないー
  3. 別にバッパーしてるからいいやとか思わないー
  4. すげぇストレスー
  5. メキシコ帰ろうかな。

の五点をすごく考えたすがすがしい朝を迎えた。

今日はサンパウロに来たら絶対行こう!と思ってた

THE・世界最大日系人街 
「リベルタージ」
リベルタージ名物「大阪橋」
に行ってきた。

  • リベルタージの行き方

サンパウロ行って、地下鉄乗って、”リベルダージ”ってところで降りる。
・・・以上。
(↑ちょっとかつやさんとあきえさんのブログのまねしてみた。クオリティに難あり)

今まで日本人街っていうとサンフランシスコの寂れた感じの日本人街しかなかったから期待しないでいったら

かなりのクオリティ。

しかも街の人も日本語で話している人多数!
すげぇー
世界の裏側にもしっかり日本があるんだな~

街の看板も日本語(少し中国語があるのが残念)もたくさんある。
こりゃすごいな。

でもリベルタージってただの街だから大して行くところはない。
まぁ散歩するのが観光なのかな?
なつかしのラジオ体操マーク。小学生のころ夏休み毎日通ってたな・・・

マニコレの友達が
「ラーメン和って店がおいしいよ、高いけど」
と教えてくれたので行ってみた。

噂では昼間は混んでるって話だったけれど、12時過ぎに行って店内は5割程度の入り。
そして入店早々

「いらっしゃいませー」
「お一人さまですか?」
注目 ここ全部日本語。しかも発音に違和感なし。てか店員が日本人。


この時点でちょっと幸せ。
やっぱり俺日本人だから日本語聞くと安心するんだよな・・・・英語でもいいけど


メニューを見ると確かに高い。
醤油ラーメン10レアルを筆頭に、その他豪華なラーメンが12~18レアル。
こんなところに来て今更ケチってもしょうがないので

「醤油ラーメンと餃子・・・・と抹茶アイス」(最後の抹茶アイスが俺っぽいでしょ?)

お茶をすすりながら待つこと10分くらい
まずは餃子が登場。
一番最近食べた餃子といえば、ラパスのけんちゃんで食べたもの。
あれはちょっと皮が厚すぎたな。

でもここは・・・・皮ぱりぱり!
クオリティは東京のそれと同等と言っていいと思う。

そしてついに登場。本日のメインディッシューーーー

醤油ラーメン(食べ物を写真に撮る文化を持ってないため写真なし)

これは!
日本でも戦っていけるくらいの味ですな。
うますぎる!
スープも全部飲み干すくらいおいしい。
なんだか朝体調悪かったのがうそみたいに、元気になった。

そしてデザート抹茶アイスね。
これは、もう「うわっ」ってくらいおいしい。
アイスってどこの国でもあるじゃん?でも抹茶のそれはあんまりないんだよね。
抹茶うめぇ。

で最後にお茶を飲んでお会計は・・・・

「36レアル(約2000円)に成ります!」

高ぇ・・・・でも高いってわかってたからいっか。

食後の運動でテクテク歩いていると、商店発見。
そこで餅を発見。
そして

購入

なんだろう。なんで買ってしまうんだろう・・・

でも
美味だなー
やっぱり日本食が世界で一番だよ!

お腹一杯になった俺=眠い俺。

即行ホテルに帰還。そして就寝。
3時間しか寝ないつもりが5時間も寝てしまった!
夜寝れないよー

で今次にイグアスの滝に行くか、メキシコシティに戻るか検討中。
もう南米なんて二度と来られないからな、どうせなら行こうかなとか。

あー悩むー

2010年12月17日金曜日

パウリスタ大通り

久しぶりのホットシャワーで疲れを癒し、
明日着る分の洋服だけ洗濯して、
今日は少しだけ観光しに
近くのパウリスタ大通りに出陣。

南米はどこも田舎だと思っている方。
それ

大間違い

です。

サンパウロに関して言えば
あの東京と同格って言ってもいいくらい都会。
なんだかほっとした俺、やっぱり東京育ちだな~って実感。

高いビルも結構ある。

もう街はクリスマス一色。
でもあんまり”カップルのための”クリスマスって感じがしない。
なんでだろう?ちゃんと宗教行事としてやってるからかな?

これ歩道橋。

歩いていると、軍服を着た人を発見。
なんか事件かと思ったら・・・オーケストラ

クリスマスの街でオーケストラとか粋ジャン!
10分ほど待って開演。

軍服着た演奏者達。

演奏は1時間30分に及んだ。

みんなが合唱とかしててアウェイ感あったけれど、それでもすごく楽しめた!

後ろの公園はライトアップもされてる。

終わったあとはやることもないし、外も暗いので帰ることに。

地下鉄の出口を出たら、すごい雨。
でもここの雨はスコール系じゃなくて、シトシト系らしいので雨宿りは無用!

と思いダッシュ!

が、
ビッチョビチョになってホテルに戻った。

でもホットシャワーあるから大丈夫!
ホットシャワーって偉大だね。

旅の終焉。(は回避)

どうも。
まず最初に衝撃の事実から。

友達のところから”ベレン”に向かったはずの俺だが。
今現在

サンパウロ

にいる。

友達のところを船で出て、マナウスには3日後の朝に到着した。
時間はまだ6時。
「いや、他の船に行くのも面倒だし、友達の友達の家族も船にいるからこのままいよう。」
と思ったのが間違いだった。

船は他の乗客を降ろし、荷も降ろしたころ。
おもむろに

出港

へぇ?このままこの港にいるんじゃないの?
近くのおばちゃんに聞くと
「大丈夫、3時間で戻ってくるから!」

はぁ安心した・・・・

4時間後・・・まだ荷おろし中。

あーーまだかなと思い船長に尋ねると。。。「あ、今日は戻らないよ」
との回答。

おいーーー
まぁこんなことだろうと思ってたけれど。

1000円もタクシー代払ってもとの場所に戻る。
ベレン行きの船を探すが一向に見つからず、仕方がないのでベレンとマナウスの間のサンタレン行きの船に乗船。

12時出港のはずが、15時出港。
ご飯つきのはずが、全部有料。

この辺から明らかに歯車が狂いはじめてきた。

2日後の夜。サンタレンには無事到着。
ちなみにこの2日間はトータル2食だけ。

サンタレンの港から町の中心までタクシーしかないのでタクシーを拾ってみた。
俺「安い宿知ってる?」
運転手「知ってる。」
俺「じゃあそこ行って」

タクシーで5分もかからないところの宿だった。
とてもキレイとはいえないが、悪くない。値段も1250円と良心的。

外に出てタクシーの運転手に
「ここにするよ」
と言った瞬間。ヤツが豹変。

「10レアルって行ったけれど、ここは町の中心じゃないし、君は安い宿に泊まれたんだから20レアル払え」
とか意味のわからないことを言って来る。

荷物をトランクに人質にとられた俺は10分の押し問答のすえ・・・

切れた。

もうムカついて、向こうの言う20レアルを空中に投げ捨てて、近くの車の後ろを

ボコッ(翌朝見たらしっかりへこんでた)

そして一言

「早く荷物だせッ、コラッ」

空中をヒラヒラ舞うお金を追う運転手を見てるとすごく哀れだった。
乞食の方がまだマシだなって、心から思った。

もうベレンに行く気は全く無くなったので、その先の目的地”サンルイス”に目標を変更。

次の日朝8時にバスがあるということなので、朝早くバスターミナルへ直行。

サンルイスには
サンタレン→マラバ→インペラトリス→サンルイスと行くらしい。
このチケットは通しじゃなくて、個々に買った。

これが間違いだった。

サンタレンからマラバのバスは大幅に遅れ、もちろん次のバスには乗れず。
窓口に文句いいにいくと、全く聞く耳をもたない。
この辺でもう、”サンパウロ”の名前が頭に浮かんできた。

しかし、同じバスで来た親子が、俺のサンルイス行きのチケットを夜の便に変更してくれた。
”そして50レアル払って”
タクシーでインペラトリスまで移動。

途中で親子は下車し、俺一人でインペラトリスに到着。

もちろん窓口まで行って、確認すると
「そのバスは満員だ。君のチケットは明日じゃないか。」

そう。俺のチケットは元々次の日のバスだった。
しかし変更してもらったはずだった。

もちろんブラジル人は俺の話など全く聞かない。
なぜなら俺がポルトガル語を話さないから。
途中で口を挟んでくるヤツも自分の都合が悪くなったら無視。

なんで俺旅してんだろう。
サンルイスになにがあるんだ。

ここでメキシコで一緒だったシゲさんの名言が頭によぎる。
「無理に旅しても辛いだけだからそれなら帰ったほうがいい」

そのときの俺はもう本当に旅するのが嫌だった。

旅の移動は面倒くさいのが常だけれど、いつも次の目的地の好奇心が勝ってたから先に進めた。

しかし、最後の目的地まで行った俺には、先に進む気力はもう無かった。

何も考えず、持っていたチケットは捨て、メキシコへの飛行機のチケットを持っている”サンパウロ”行きのチケットを購入。
そして
乗車。

サンパウロまでは2泊3日。

そして今日到着。

サンパウロに到着したら、すぐにでも空港に行こうと思っていたが、バスを降りてみると
「少し回ってみようかな」
と思えた。

もう終わりだと思っていた旅を続けることができるみたいだ。

2010年12月9日木曜日

さぁ出発

12月1日に到着した、最終、最大目的地、マニコレ。
友達の家にお世話になって結局1週間もお世話になってしまった・・・・

そして
明日!ベレンに向け、1週間の弾丸移動。
何十時間とかのレベルを超え、もう週単位の移動。
どんだけ遠いんだろう。
きっと銀河系のどこかの星より遠いと思う。(うそ)

マニコレでは基本友達の家に引きこもり。
だから全然町歩きしてない。
だから写真も撮ってない。
(友達の研修先のブログに一応紹介されてる。マニコレ市街地紹介(HANDS)

今マニコレでの思い出を振り返りながら書こうと思ったんだけどできないから

文章で

振り返ろうと思う。
※注意 今回の記事は読者様の多大なる想像力が必要です。

まずは町の中心の広場。

学校やホテルや商店に囲まれてる。いわば町の中心(二回目)
夜になると大体5軒くらいの屋台がでる。
雰囲気で言うと・・・・田舎町の盆踊り大会の盆踊りとちょうちんがない感じ。
ちょっとした駄菓子屋さんも出る。
ここが俺のお気に入り。かなりチープな味のガムが美味。

次はいつもコーラを買うお店。
なぜだか友達はこの店がお気に入り。理由は2回ぐらい聞いたけど忘れた。
俺もこの店がお気に入り。
なぜかって言うと、ポップコーンが売ってるから。
もうそれだけで伊勢丹レベル。だからメキシコのOXXO(コンビに)はどれも伊勢丹レベル。
ちなみにコーラは2L6レアル=300円。(高ぇ)

その次は友達の家の近くに住んでるケリソン宅。
こいつは友達のことが大好きで・・・いや、こいつの家族が友達を大好き。
友達とそいつの家の前を歩くと

「どこ行くんだ!?」


俺には


「俺の娘と結婚しないか!?」


しないよ。

友達は元気の無いときはこういう
「あいつウザイから回り道しよう」
そして俺は
全力で同意する。

次はいつも夜食を食べる鶏肉の串焼き屋さん。
ここは安い!お腹一杯3レアル=150円。
お味は・・・・まぁいける。おいしいの真ん中くらいのランク。その辺の言葉を借りると「中の中」
ここの店は俺のことを確実に覚えてる。
なぜわかるかと言うと、俺らが行ったときだけ骨を置く用の皿をくれる。
え?なんで?
はいはい。理由は俺が骨をテーブルに直接置くから。(おそらく)
その姿を見て友達は
「お前バッパーやってきたんだなって思うよ」
とまで言わせた行為。
悪名高いかな?

そしてラストは、友達の家。
ここは友達の研修先の団体事務所もかねてる。
だから寝てると上から


ドカッ、ドカッ・・・・・ドンッ

でも良く考えてみよう。
上で朝から働いてるみんな。
下で昼間で寝てる俺。
どっちがきちんとしてるかな?・・・・はい、俺文句言う立場じゃない。
でも友達は休みでもこんならしい。ちょっと同情。

さぁ。どうでした?マニコレちょっとわかったでしょ?
ちょっと来たい!と思った人。

もう思い切って来てみよう。
うん。それも面白いと思う。

では!
1週間後。
お元気で。

2010年12月7日火曜日

見学

未だにマニコレ滞在中。
友達の家にお世話になっててそろそろ悪いかなって思い始めてきたので近々旅を再開予定。
と行ってもあんまり強く行きたいところも多くないからダラダラ必至。

先週末は友達の研修先のご好意で活動の一部を見学させてもらうことに。

マニコレからはまずモーターボートで移動。
港(って言っても川沿いに立ってる掘っ立て小屋)に荷物を運搬。
最後の荷物を持って下っていると、目の前を歩いていた友達が

水没。

ごめん。めっちゃ笑えた。
これによって友達のカメラは逝かれました。まぁもう一台防水のやつを持ってるから問題なかったらしい。

今回は3艘の船で移動。
くじ引きによって屋根ありかなしか別れるらしい。
ちなみに俺はゲストなので屋根あり。

このボート結構小さいの速い。
川からの景色も新鮮で楽しかったーーって思ってたら

寝た。

「なんでそんなに寝るの?」って友達にもブラジル人にも言われる。
あーなんだか体力なくなっちゃったみたい。

遠隔地に到着するとすぐに活動開始!
持ってきた物資を運び込んだり、なんだかんだ忙しい。
友達の仕事は主に広報。だからずっと写真撮ってた。意外に大変な仕事だ。

今回の主なイベントは
新しくできた建物のお披露目会。
友達の団体が撤退するのでそれのお別れ会。
定期的な集会の開催。
の3つだった。

新しくできた建物っていうのも現地の団体がイベントとかいろいろしてお金を貯めて作ったらしい。
それが結構立派。
すごいな。って思った。

お披露目会では最初にみんなで記念撮影

なかでお昼ご飯。
はっきり言って普通のご飯なんだけど、みんなで食べるとおいしいんだよな。
あれ魔法だよ。

その後別の建物に移動し、みんなでビンゴ大会!!
景品は・・・・なんだったんだろう?なんか包装紙に包まれててなんだかわからなかった。
ここのビンゴ大会は面白くて、一列そろったら終わりじゃなくて24個の数字全部埋まったら終わりっていう、長く遊べるように改造してた。
それも面白い。

ビンゴの紙は有料になっててそうやってお金を集めるらしい。
頭いい。
俺もやってみようかな。

夜になると、近くのコミュニティ(村的なもの)から集まったチームで演劇をする。
ポルトガル語の全くわからない俺には全然理解できなかった。
今回は全部で6チーム(だったかな?)劇をしてた。
ちなみに最後に一番を決めて景品もでます。がんばりましょー

夜も更けてきて自分をはじめみんなもお疲れ気味。
最初言われていた時間よりもう遅れていた。

俺が
「遅れてるね」ってボランティアで来てるブラジル人の女の子にいったら
「そんなことないよ」
って

なんだかその一言がすごく考えさせられた。

俺って遅れることをすごく嫌う。
でもそれって元をたどれば、今やってることが遅れると後の用事が狂うからイライラする。
だから後の予定がなければ遅れても別にいいじゃないか?ってこと。

俺はもう遅れる=イライラになっちゃってる。
でも今日みたいに後になにもすることなければ遅れてもいいじゃん!って思った。
そうだよな。そうなんだよね。
旅してると自分の常識の根本がおかしい!って思う事が多々ある。

結局寝たのは12時くらい。
すごくすごく疲れた。
朝から久しぶりに動いていたのもあるけれど、やっぱり全然言葉が通じないってのは大変なことだと思った。
そして今までの旅を振り返ってみたら、こんなに言葉が通じないのは初めてだったかもしれないと思った。

アジアではなんだかんだみんな英語ができた。
中国では漢字で筆談ができた。
メキシコでは最初は友達の家で英語で話してて、スペイン語を練習してから一人になった。

しかも今回は友達がいてくれたことでがんばって会話するのを少しサボってたように思えた。
わからないことがあると、どうにかボディランゲージとかで話すんじゃなくて友達を呼んでた。
それは話し相手も一緒。
毎回毎回友達に頼らなくちゃいけないもどかしさがあった。
それも疲れの一因だったと思う。

次の日はまずミサ。
俺はミサは参加しないって決めているので外で寝てた。

友達曰く
「ナオはどこ行ったの?」と聞かれ
「寝てる」と答えたら
「また寝てるの!!」と驚かれたらしい。

なんでこっちの人はそんなに寝ないのだろうか。

ミサが終わるとみんながワラワラ出てきた。
そして今度は違う建物に入っていく。
俺も行ってみるとそこには大きなケーキが。

友達の研修先の団体に対して「ありがとう」と書いてある。
こうやって地元の人に感謝されるのが一番だよなって部外者ながら思ってみた。

こうして、(俺にとっては)長い長い土日が終わった。

「国際協力の舞台」として見学に行かなかったからそこに関してはなんにも感じなかった。

しかしあそこにはとっても素敵な子供達の笑顔があった。
いや、子供達だけじゃないたくさんの笑顔があった。
それだけでなんだか俺は幸せな気持ちになれたな。
友達がやってることは有意義なことだなって思えた。

最後に
俺の名前は「ナオ」っていうんだけど、
「ナオ」ってポルトガル語では「いいえ」って意味になる。
それで相当いじられた。

「シンオナオ?」
「はい、それともいいえ?」って聞かれるんだよね。
あれ最初面白かったけど、ちょっと飽きてきた。

これからずっとそうなのかな・・・・・

2010年12月1日水曜日

「ヤザワ(ブラジルに留学している友達)のところへの旅路」第三ステージ

ついに最終ステージ。
と行ってもあとは出港した船に乗ってるだけでマニコレまで到着する。

昨日借りたハンモックを午前中に返しに行き、その足で自分のを買った。

20レアルか35レアル。
選べるのはふたつだけ。
柄もそれだけ。

結局そうなんだよな。あるものからしか選べない。
フィリップが
「安いのは切れたり、快適でなかったりするから、高いほうがいいよ」
と言ってたので高いほうを買った。
今思うとあいつも店の店員だったのか?・・・・んなはずないか。

船の上ってのは意外に退屈なもの。
本も持ってない。
IPODの音楽も聞き飽きた。
言葉も通じない。

そんなんで時間を潰すのが大変。
これが第三ステージか。と実感。

最初の二つはただ移動。先を見続ければよかった。
でも今は先が見えてる。
面白いくらいクリアに。

でも

先に進まない。
なんだか自分に降りかかることが、まるで用意された試練みたいで少し笑える。

6pmに出発と聞いて実際出発したのは10pm
まぁこんなもんだよな~

でも

やったーーー
出発した!!

これだけでうれしかった。

次の昼にはまず最初の町に到着。
この次がマニコレ。

ビールを飲んで、フィリップとそのほかの英語のしゃべれる乗客と話をした。
彼らは日本に興味があったり日本を知ってたりして面白かった。

「休暇は1週間しかないんだろう?」
「俺のところは2ヶ月だ」

「会議を聞いてる人は聞いてるとき「うん、うん」とか言うだろう?」
「ありゃ面白い」

「結婚するときは上司と相談するんだろう?」
「”私の付き合ってる女の子は~~~””うん、それはすばらしい結婚したまえ”みたいな」

なんだか日本の常識は世界では笑えるんだな~って思った。
まだまだ日本について知れることはたくさんあるんだなって実感。

次の日の朝。
クルーのオヤジに
「今日の午後マニコレ到着するよ。」
とひとこと声をかけてもらった。

なんだか心が躍る。
この7ヶ月俺がどんだけ成長したか、
あいつがどんだけがんばってたか
やっと話せるんだなぁって。

マニコレには着岸せず、モーターボートで港まで行く。

これが小さくて、水が跳ねる跳ねる。
そして
ぬれるーーーー

ちょっとは気をつけろ、この野郎。

そんで



着いた!
マニコレ!

そして
俺の最終目的地。

旅の終わり・・・・

のために、ヤザワに連絡を取る。

電話がない。

なぜか知らないが全部ぶっ壊されてる。
あー
最悪。この片田舎まで来て友達に会えないとか最悪。

と、ここで救世主登場。
「ここで電話できるよ」
連れてこられたのはホテル。

電話をすると
「え?どこにいんの?あーわかった。今から行くわ。」
そう、まるで日本で待ち合わせするかのように。

待つこと小一時間。いや5分。

ついにヤザワ登場!

そして感動の再会!
とーーーー
思いきやーーーー

なんかお互いその辺で会った感じで
「よっ!」

なんだあれ?
これが昔からの知り合いなのか?
日本と一緒だぞ。
とか思いつつ、やっぱりうれしいもの。
(少しだけ)飛び跳ねた。

こうして、俺の長いたびは日本を出発して7ヶ月経とうかというときに終わった。

あとはロスタイム。
思う存分、自分の行きたい!って所だけ、つまみ食いして、飽きたら帰ってやる。