2011年4月18日月曜日

帰国後1ヶ月

帰国前の最終エントリーがあまりにも中途半端という意見を多数いただきました。

え~っと・・・・あ・・・・

ごめんなさい。

ちゃんと終わらせようと思ったんだけど、帰国してみると全然気が乗らなくて。

少しだけ言い訳をさせてもらうと、
帰国したのが3月9日、それからたった、”たった”2日しか経たないその日、

東日本大震災。

当日、俺は東京の家にいたんだけど揺れる、揺れる。
こんなに揺れたのは初めてだってくらい揺れた。
内心(こりゃ、東海大震災かな・・・?)とか思ってた。

そんでTVをつけてみると。。。

その後は皆さんと同じ体験をした。

TVに写る光景が信じられなくて、
「あーーー」としか言えなかった。
明らかに動いてる車が津波にのまれていたり、まるでCGのようだった。
CGであることを願ったけど、映画であることを願ったけど、

やっぱりそれは現実だった。
悲しいやら、なんやらで、呆然。

でもその2日後に、鹿児島&沖縄に飛び立つ飛行機を予約していたので、かな~り迷ったけど、鹿児島に向かった。

鹿児島は母方の祖父母の実家。
じいちゃんがず~っと体調悪くて、俺が帰ってくるのを待てないかというくらいだった。

が!

待っててくれた。
意思疎通も出来ないときもあるって言うのに、俺が行った時はしっかり意思疎通ができた。
「どこに行ったのか?」とか「どうやってきたか?」とか

せっかく来たから1時間くらいいろいろ話したかったんだけど、20分くらいでじいちゃんは疲れちゃったみたいで
「帰りな」
と言われた。
そこでしっかり、がっちり握手した。

そして、それがじいちゃんと握手した最後になった。

4月11日、東日本大震災からちょうど1ヶ月。
桜がキレイに舞う日に、じいちゃんは息を引き取った。

本当に俺を待っててくれたみたいで、本当に、本当に会いに行って良かったと今は思ってる。

10歳くらいの時に父方のじいちゃんも亡くしたんだけど、そのときってあまりにも子供でいろいろ理解できなかった。
でも今回は違った。

じいちゃんが亡くなった、次の日には鹿児島に飛んだ。

じいちゃんは布団に寝てて、その前に焼香台がおいてあって。
「え!?」って思った。
こないだ会ったときと全然変わらないじゃんって。
でもじいちゃんは生きてないんだなって頭でわかってた。
それでも、まだ生きてるような感じがして、線香をあげるのをすごく戸惑った。

それから化粧をして、お棺にじいちゃんをみんなで入れた。

その途端、じいちゃんは一気に死者になった。
劇的すぎて、布団に寝てたじいちゃんを思い出せないくらい、一気に。
それからはすごくたくさん線香を上げた。
なんの戸惑いもなく。

そして葬式の出棺の時。
どーしようもない悲しみが俺を襲った。

じいちゃんがいないって11日の時点でわかってたのに、
じいちゃんがお棺に入れられて、いつか火葬されるってわかってたのに、
じいちゃんのその体にはもうじいちゃんがいないってことはわかってたのに、

全部理解して、ストンと心に収まった途端に、涙がドンドン溢れてきた。

頭で考えてることとか全部ぶっ飛んで、心からなんかが湧いてきて、
どうしようもなかった。

そして

じいちゃんは天に昇った。

火葬の前、じいちゃんの棺を開けたとき、じいちゃんの大好きな焼酎の臭いがプンプンしたのは今でも覚えている。

残されたこっちの身勝手な解釈だけど、
俺が旅を終えて、じいちゃんの死に立ち会えたのは、じいちゃんがそうしてくれたからだと思う。

帰国して1ヶ月。
いろんな人と話し、さらに勉強もした。

だから自分が成長したこともよ~っくわかったし、
根の部分から違う考えもするようになったって思う部分もある。

そうやって、いろいろわかってきたときに、死っていう人間、いや生きる者すべてが遭遇することに、じいちゃんは俺を立ち会わせてくれた。
それが俺の”死”ってことに対して成長させてくれたことは間違いない。


旅ってので俺はよく成長したと思う。
それに、いろんな人に感謝しなきゃいけないと思う。
そして、いろんな人の旅、さらには人生の登場人物になれたことを嬉しく思う。

10ヶ月いろんな国を回り、たくさんの人に会い、議論し、ケンカし、大騒ぎし。
そのすべてが自分の財産になった。

嫌な思い出は忍耐力に。
素晴らしい景色は想像力に。
言葉の伝わらない人との会話はコミュニケーション能力に。
理不尽なことへの反論は主張する力に。

こうやって、書いてわかることじゃないけど、
俺の中ではしっかり、わかってる。

いや、わかってない部分もあるかもしれない。

だからこの旅の終わりはその部分を探すことによってドンドン先に伸びるんだ。

旅は終わらない。

2011年3月8日火曜日

帰国前夜

なんかサンアントニオの記事の後全然更新しなくてごめんなさい。

ってことで、タイトルどおり。
今夜帰国便に乗る(予定)

5月の初めに旅にでて、しっかり10ヶ月。
長いようで、長かった。
決して短くはなかった10ヶ月だった。

今まで生きてきた(って言ってもたった21年)
中で最高の一年間になったってみんなに言える。

ブログで書いたこと以上にたくさんのことを感じた。
それを記録し続けれなかったことを残念に思うけど、
今の自分ってのがその体験の記録なんだよなとか思う。

最近思うんだけど、人間って、一人の人って、周りの人が作ってくれてるんだよな。
最初に両親、さらに親族、友達、先生・・・・
その人たちの言動、行動で自分の言動、行動って作られてるんだよ。
俺のやることよくよく考えたら、ルーツがあるってことはそういうことだと思う。

これも旅で考えたこと。

旅からいろんなものをもらった。
もしかすると失ったものもあったかもしれない。
(いや、あった。カメラ盗られた)

帰国して、みんなに会って、どんなに変わってるか自分でも実感できるんだろう。
もしかすると変わってないって実感するかもしれない。

そんな素晴らしい日々も今日で一区切り。

決して素晴らしい日々の終わりじゃない。
今まで過ごしてきた素晴らしい日々とは違うけれども、
また新しい素晴らしい日々が待ってるんだな。

ブログをひっそり読んでくれたみなさまありがとう。

完全なる自己満足ブログだったけど、ちょっとでもみんなに俺が楽しんでるor世界ってすごいってのが伝わったらよかったな。

これからも更新するかもしれないけれど、リアルタイム旅ブログ(←いつそんなのになった。)はこの記事で終わり。

みんなも素晴らしい日々を送れるといいですねー

では!!

2011年2月26日土曜日

アメリカ再入国

10日間もお世話になったモンテレーを後にし一路向かったのはアメリカ、サンアントニオ。

ここにはおじさんの友人がいるのでお世話になる。

友達の母が別れ際に
「またいつかきなさい」
と言ってくれたのがとても嬉しかった。

友達は今年の12月に来日予定だから日本に来た時はいっぱい恩返しをしよう!

バスは一路アメリカ、メキシコ国境へ。
バスを降りた順に係員にIDを見せて荷物検査をする。

係員「おい、お前こっちこい」
俺「はい、俺なんかしましたか?」
係員「きみはパスポートチェックが必要だからあっちにいきなさい」

そしてパスポートチェックが終わったのは1時間後。。。


もちろんバスを待たせていた。
しかし

「日本人が手続きに時間がかかりました」

みたいなことをドライバーが言ったらみんな笑って、それで終わり。
だれも文句言わない。
嫌な顔を俺に見せない。

あーメキシコ大好き!!!

バスは予定より2時間も遅れて到着したけど、おじさんの友人はバス停で待っていてくれた。
なんでこんなに優しいんだろう。俺も待ってられるかな?
友人宅はとーっても広くてゲストルーム(レストルームじゃない)まである!!

マジ感動。。

テキサス名物のステーキ屋に連れてってくれたり、
なんだかんだ毎日いろんなところに連れてってくれる。

本当にありがたい限りだ。

しかも!
俺の英語力も少々上がってるみたい!!

いいことばっかりだな。

来週の月曜日から4日間ヒューストンにみんなで大遠征。
NASAにも行く予定。
楽しみでしょうがない。

2011年2月21日月曜日

モンテレーでの日々

友人宅にお世話になり始めて早10日目。

明日にはモンテレーを出発し、アメリカ・サンアントニオに向かう予定。

ってことで
モンテレーでの日々を紹介したいと思う。

まずは博物館。
ここは宇宙系の博物館だった。

東京ベースで言うと、上野にある科学博物館って感じ。
大阪ベースで言うと・・・すいません知りません。(笑)



今回行ったら「ボブとブーズー」(だっけ?)の特別展がやってた。
もちろん子供メイン。
大人は・・・基本遊ぶところなかったかなぁ。。。。

でも俺が小学生の時にこれTVで見てたからちょっと、楽しかった。ちょっとね。

その後プラネタリウム的なところで星じゃなくて映画を見て、
屋外のところで遊んでたら途中で電気を落とされ、
最後に望遠鏡で月を見た。

よ~~っく考えたら望遠鏡で月見るの初めてだったかも。
めっちゃ大きく見えるんだな。他の星も見てみたいと思った。


次の日・・・

今日は遊園地へ。

規模的には・・・・那須ハイランドパークを半分くらいにスケールダウンした感じ。

それでも結構乗り物はあって、
子供向けが15台くらい
大人向けが5台くらい。

まぁそんなに大きくないね。

でもその大きくない感じがよかった。
ディズニーランドやUSJとかしか行かない!ってのより、
こんなミニ遊園地が町にあったら楽しいなって。
まぁたまにしか行かないだろうけれど。
スピン系の乗り物が中心で俺は、大いに酔った。


友達「怖いの?」
俺「いや、怖いわけじゃない。けどもう乗りたくない」
友達「え?なんで?」
俺「う~~ん、なんて言うんだろう、英語でわかんない。」
友達「あー怖いんだー」
俺「いや、違くて・・・」
友達「じゃあ、もう一回行こうよ」
俺「え?あ・・・いいよ」

と言ってさらに酔うという悪循環。

言葉大事だよ。言葉は。


一緒に行った友達の従兄弟(5歳)
楽しんでましたねぇ~
このくらいが一番かわいいね。

この子、広い道があると、競争したがるんだけどいつも
「1,2 イ 3!!!」
で駆け出していく。

ある時、俺が隣で競争するために構えてたら
「1,2 イ 3!!! 4(!!) イ 5!!!」

なぜか5までカウントしやがった。
完全に意表を突かれた・・・まぁ勝ったからいいんだけど(笑)

2011年2月17日木曜日

Whatever (Hay Razones para creer en un mundo mejor)

大好評!

旅で得たもの企画!

だったのですが、今回は違う話題を。

今メキシコにいるんだけど、友達の家でTVを見ていたら、と~ってもいいCMを発見した。

コカコーラのCMなんだけど、曲は「Whatever」 Oasisと言う人の曲。
でも子供達が合唱してて、それが心に響く!
それが俺がこのCMを好きになった理由。

そして、CMで紹介されてる文がまたいい!

ちょっと紹介したいと思う。
(俺のスペイン語訳だからちょっと訳がおかしいかも。)

Por cada tanque que se fabrica en el mundo

se fabrican 131 mil peluches.

Por cada Bolsa de Valores que se desploma

hay 10 versiones de "What a Wonderful world"

Por cada persona corrupta

hay 8 mil donando sangre

Por cada muro que existe

se ponen 200 mil tapetes de "Bienvenido"

Mientras 1 científico diseña un arma nueva

hay 1 millon de mamás haciendo pasteles de chocolate

En el mundo más dinero de monopoly que dólares

Hay más videos divertides internet

que malas noticias en Todo el mundo.

AMOR tiene más resultados que MIEDO.

Por cada persona que dice que Todo ve a eatar peor

hay 100 parejas buscando un hijo.

Por cada arma que se vende en el mundo

20 mil personas comparten una coca-cola


Hay razones para creer en un mundo mejor.


和訳

世界で戦車が作られるたび、
13万1千のぬいぐるみが作られる。
株式市場が急落するたび、
10種類の”すばらしい世界”が現れる。
病気の人のために、
8千の献血がある。
一つの壁に対して、
20万の”ようこそ”というマットレスが置かれてる。
1つの新兵器が開発される間に
100万の母の手作りチョコパイがある。
世界にドルの独占たくさんのお金がある。
たくさんの面白いビデオがインターネットにある。
それをみんなが世界中に広める。
”愛すること”はたくさん”心配する”結果だ。
人がすべてが悪くなると言う時、
100人のカップルが子供を見つける。
新しい武器が世界で売れるたび
人々は2万本のコーラを買う。

より良い世界を信じる理由がある。


世界平和を願うのは絶対あきらめちゃダメなんだなぁと思った。


日本でも三井住友銀行のCMが感動いいみたいで。


日本で今CMを飛ばす機能をなくすDVDプレーヤーが廃止になるとか言ってるけど、
CMの中にはもう一回みたい!
って思うものもある。

そして、CMって一発で人々に印象を与えるものじゃないのか?
TV放映中にCMを見て
「あ、これいい」
って思ったら今はYoutubeですぐ検索する。
だからこうゆうCMを企業は作るべきだと思う。

2011年2月16日水曜日

旅で得たもの エピソード2「自分の意見とその先」

大好評!

旅で得たもの企画!第二弾。

今回は

「自分の意見とその先」

です。

自分の意見というものは、とても大事だと思う。
でも、それって意外に一焦点でしか見れてない。

俺は旅に出る前、人の意見を聞いても
「それは違う。」
と最初に考えて、ろくに考えもせずに否定してた。
北京で飲んだビール。懐かしい。

いい例がある。

高校の時に中のよかった友達が、大学に入って雰囲気が変わった。
高校の時は結構マジメキャラだったのが、大学に入った途端にチャラチャラし始めた。
大学に入ったばかりの時の俺は
「どうしちゃったのだろう?カッコつけてるのかな?」
ぐらいにしか思ってなかった。
いつか、高校の時みたいに戻るだろうと。

そう思って2年が過ぎた。
でも彼は変わることはなかった。

2年間俺はコイツなんか変だ。
って思い続けていた。

でも俺は旅に出て、アイツを認めることができた。

それは、人の意見を聞いて、自分で考えてから、否定するか、肯定するか決めるようになったからだ。

前の俺は、もし自分の意見と違う意見なら、考えもせず否定してた。

そして、旅で自分で考えることを普通にしてみてから、高校の友達のことを考えたら、なんの問題もなく、認められた。
俺はそのとき、「アイツはアイツで新しい価値観を見つけられただけ。成長しただけ」
って思えた。
それは俺にとって大きな大きな一歩だったと思う。
シェラで昼からビール♪

旅では、日本では絶対会わないような日本人に多々会う。
そして、日本ではあんまりしない話をする。
そんな時、この考えがとっても俺のためになっていると思う。

一人で考えてる時、自分の意見は考えつくされたものだと思うところまで考える。
そして、自分の意見は強固なものとなる。

でも、
人に話してみると、自分の意見なんて脆いってことがすぐわかる。
年上と話すとさらに。

そんなとき、みんながせっかくくれる考え直すチャンスを捨ててしまっては意味が無い。
その意見を自分でもう一回考え、自分の意見に取り込んでいく。
そしてまた自分の意見を作り直す。
それってとっても大事なことだと思う。
ペンソノでのビール三昧の日々

俺は人の思考の過程って粘土に似ていると思う。

最初は、好きな形に変えられる。
その好きな形は、今まで経験してきたこと、知識を使って作られる。

その先が問題なんだ。

もし、その粘土を練り直しせずにずっと置いておいたら固まってしまう。
そして、その固まったものを壊して、違う形にするのは大変なことだ。
それを壊すにはハンマーを使わなくちゃいけないかもしれない。
そんなことしたら、自分の自尊心まで壊してしまうかもしれない。

でもいつも粘土を練り直してたらどうだろう。
別に練り直す前の形に作りなおしてもいい。
いつも粘土を練り直してたら、いつも粘土はやわらかいまま。
どんな意見でも取り入れることが、できる。
そして、いつでもよりよい形に作りなおすことができる。

だから、自分の意見はたくさん話して、みんなのいろんな意見を聞くことが大事なんだなぁ。

今まで、いろんなことを否定してきたけど、これからは自分の頭でもっと考えて意見しようと思う。

写真でなにが言いたいかっていうと、飲みコミュニケーションは大事ってこと。

2011年2月15日火曜日

旅で得たもの エピソード1「人と人とのつながり」

そろそろ旅も終わり。
が、まだ終んない。
メキシコシティ。結構都会。

未だにモンテレー滞在中。
次の土曜日に友達のいとこの3歳の誕生日があるため、そのパーテーに出席してから、次の街にいくため。

毎日、毎日、堕落した生活を送っています。

しかし!

これではダメだと思い、旅の情熱を忘れないうちに、旅で得たものを少しずつ文章にしておきたいと思う。

それで、今日はその”「旅で得たもの」企画第一弾 


記念すべき今回のテーマは・・・

「人と人とのつながり」

について。

もう散々話してきたけど、集大成として今回第一回目のテーマにした。

「人って言う字は、人と人が支えあってるって意味」ってのは金八先生で有名な場面だけど、それって日本にいると、どうも感謝できない。
というか、できてなかった。

「人が生きるうえで人に支えられて生きるなんて当たり前だから感謝なんていつもしてる」
って思ってたけど、感謝なんて全然してなかった。
自分回りに人がいて、自分がその人に支えられてるなんて見ようとしてなかった。

俺は初めての一人旅でヨーロッパに行き、初めての町ベルリンで人とのつながりの大事さを実感した。
インドで出会った青年。

空港から一人でホテルに行く。
それだけで、俺にとっては大きな冒険だった。
今までみたいに空港まで旅行社の人が迎えに来てくれない。
たった一人で暗くなった初めての町でホテルまで行く。
大きな不安がた~~っぷり俺の心に詰まってた。

結局俺は無事ホテルに着いた。

でも俺は一人じゃなかった。
空港でバスに乗るときも、
バスを乗り換えるときも、
絶対誰かが助けてくれた。
俺は一人じゃないって教えてくれた。

それが、愛想のないおじさんだったり、
異臭を放つホームレスだったり、
タクシーのおじさんだったり、
誰かと繋がっていた。
それを旅のはじめからヒシヒシと感じた。痛いくらいに感じた。

それから、ヨーロッパではメキシコ人の友達と出会い。
そして、その友達から紹介してもらった友人の家で1週間もお世話になってる。

ブラジルで助けてくれた家族
さらに俺はアジア、アメリカ旅行を通して、一人じゃないってことを感じた。

どこに行っても、窮地から状況から無事なにごともなく、次に進めたのはいつも現地の人たちや旅人の助けがあったからだ。
自分の知らない土地にいるときに、自分で問題を解決するのはすごく難しい。
だからやっぱりその場所に住んでる人に助けてもらうことになる。
そして俺には日本に家族がいて、定期的にメールを送ってくれる。
俺が友達に手紙を送ると、みんな届いたよ~って連絡くれる。
地味にブログを読んでくれる人がいる。

「あんたから○○を取ったらなんも残らないよ」
ってよく漫画とかでみる。例えば主人公がボクサーならボクシング。

「俺から人を取ったらなんも残らない」
と思う。
自分ひとりでできることの小ささって、あんまり感じないけど、よく考えると愕然とするほど小さい。
でも仲間がいれば俺のできることって無限だと思う。

自分を大きくしてくれる「人と人とのつながり」

この旅で再確認できたつながり、
この旅で新しいできたつながり、
そんなたくさんのつながりを大事にしていこうって今は思う。

2011年2月11日金曜日

メキシコについて。

前回大変お世話になった、モンテレーに帰還した。
(前回お世話になった時の記事。)
ティファナの街に掲げられた、国旗
なんだかんだ長くいるメヒコ。
友達もできたし、いろいろ話を聞くことができた。

そこで!

(俺が思うに)あんまり日本で知られてない俺の大好きな国”メキシコ”について、俺が今回の旅でしれたことをまとめて伝えようと思う。

メキシコについてどんなイメージがあるだろうか?
俺は来る前は

  1. 主食はタコス
  2. 公用語はスペイン語
  3. 首都はメキシコシティ、東京より大きい都市
  4. アメリカの南部
ぐらいだった。
タコス屋のおっちゃん。
上記の4つはそのままの事実。
実際着てみたらそこらじゅうにタコス屋はあるし、立派なスペイン語をしゃべってる。
メキシコシティは大きかったし、アメリカからはすぐに来た。(サンディエゴ→ティファナ)

が、知らないこともあった。
  • 主食はタコスじゃなくて、トルティーヤ
  • トルティーヤは基本すべてのメキシコ料理につく。
  • おかわり自由(←ここ大事)
  • Made from トウモロコシ。
  • 公用語はスペイン語だけど、どこの国のスペイン語も一緒ってわけじゃない
  • でもメキシコのスペイン語はアクセントが少ないから、ラテンアメリカ向け吹き替えはメキシコベースのスペイン語
  • 首都はメキシコシティで東京より大きいし、意外に便利
  • アメリカの南部だけど、中米じゃなくて北米に分類される
  • 通貨はペソ
  • 今のレートは1ペソ=7~7.5円
  • 大学進学率は10%(!)程度
  • アメリカにこんなに近いのに、みんな英語を話さない。
  • 別にそれをどうこう思ってない。
  • 意外に給料が安い。
  • 研究職で初任給1000USDくらい
  • やっぱり肌の色で格差はある。
  • メキシコ全土がどこでも暖かいってわけじゃない。
  • マヤはユカタンだけ
  • メキシコって名前の由来はメヒコ人って先住民族。
  • 別にマヤの2012年説はそこで世界が終るじゃなくて、新しいフェーズに入るだけ
  • 正式名称は「メキシコ合衆国」だから略称は「U.S.M」でもいい。
  • でもそれは言わない。
  • Wカップを2回したけど、サッカーは弱い。
  • 一応野球もある。
  • けど弱い。
  • 国家が8番まである。
  • でも全部歌うのは軍隊だけ
  • 小学校は2番まで中学校は4番まで
  • 独立革命はとっても大事なこと。
  • 時にバスより飛行機のほうが安い。
  • バスのクオリティが意外に良好。
メキシコシティの革命記念塔
まぁ、こんなところかな。
箇条書きにしてそのあと解説しようかと思ったけど、そのまま箇条書きで書いた。

メキシコって遠いようで近い国だってことを日本人に伝えたい。
だってさ、みんなロスまでは近いと思うでしょ?
メキシコって国はロスから6時間くらいで着くんだよ。

そして、何て言ったって人がいい。

別に特段優しいわけじゃない。
でも、なんだか素直なんだよね。
時にその素直さはバカみたいだけど、時に笑えたり、ほっとできたり。
国民みんながメキシコって国を愛してるんじゃないかってくらい思える。
そんな不思議でとってもいい国。

世界遺産もあるし、カンクンっていう世界的ビーチリゾートもある。

みんな次の海外はメキシコいかが??
こんなコロニアル都市も魅力(@サカテカス)

2011年2月7日月曜日

フローレス→D.F

前日、朝4:30に頼んだモーニングコール・・・・

「ドンッ、ドンッ」
目が覚める。昨日頼んだモーニングコールだ。
「はーい、ありがとう」
「ドンッ、ドンッ」
ノックがやまない。
顔を出すと衝撃の事実が!

「もう5時だよ。僕の時計が壊れてて・・・
「は?へぇ?なに言ってるのこいつ?」

俺のバスの出発時刻は5時。
そして起床したのは5時。

・・・・・間にあわねぇーーー

昨日のうちに完璧に荷造りを終えてたショッピングバックを抱え、ツアー会社まで走る。

そして到着。
もちろん、まだ出発してなかった。
日本やドイツでもあるまいし、時間ちょうどに出発することはまずありえないんだけど、それでもあせるよね。

結局、5:30くらいにバスが来て、やっと出発。
あの急いだ時間はなんだったんだ・・・・
間に合ったからなんでもイイカ。

フローレス→パレンケ間の国境は川を渡る時、アクティビティみたいで面白いと言われている。
だからちょっと楽しみにしてたのに・・・・

アマゾンと変わんねぇし、しかもスケールダウンしてるーー

ってことで写真は一枚も撮らず、やる気が出ず。
今回も写真はなしです。許してください、お父さん、お母さん。

国境越えは小学校や、中学校、いや、自分の家に入るんでもいいだけど、そんな感じにすんなり行った。(←伊坂さんの冬眠のガールってヤツからパクリ)

パレンケに到着したのは14:00.
全くもって中途半端な時間だった。
そこからサンクリに出て、D.Fに戻ったほうが安いんだけど、1日余計にかかる。

サンクリ経由なら400~600ペソ
D.F直通なら850ペソ

どうしようかなぁ・・・・
まぁ

直通で

もう旅も長くしたくないし、そんなに目の色変えて節約しなくてもいいし。
そもそも辛いのを極力避けて、金かけて回ってきたんだから、いいじゃないか。

上記の2つ理由で決断。

ADOっていうメキシコでもすごく有名な会社のバスに乗ってD.Fに向かった。

D.Fに到着し、アミーゴに戻ると管理人のYOSHIさんが、
「おぉ帰ってきたかぁ!失踪したかと思ったぞ!」
と少し心配してくれていた様子。

ありがたいなぁ。

でもその後に
「失踪したら面白かったのにな!!ハッハッハッ!!」
となんともYOSHIさんらしい感じだった。

2011年2月5日土曜日

シェラ→ティカル

ついに!ついに!

シェラ脱出~~~

滞在日数計13日間。
長かったなぁ・・・・長かった。

みんなに別れを告げ、(というか、告げてもらって)

14:30のシェラ発、グアテマラシティ行きのバスに乗車。

のはずがー

まさかの15:30発。まさかの1時間の自由時間。
自由時間ってありがたいものだけど、いきなりもらうと混乱するもの。

しかし!
ここでめげてはダメだ!ということで、昼飯へ。
もはや俺の中ではシェラ名物の

メキシカントルタ

メキシカントルタとか言ってるけど、メキシコで見たことねーぞって形のトルタ。
これ、結構うまいし、日本でもいけそう。売れそう。試してみよう!

昼飯を食べ終わったら、すぐにバスの時間に。
バスに乗車すると、朝早く起きた反動により、爆死。じゃなくて爆睡
1時間半も起きなかった・・・まぁ疲れてたんでしょう。

グアテマラシティに着いたときにはもう辺りは暗くなってた。
グアテマラでも治安がよくないと有名な町で暗くなってから出歩くことは意味がない。
よって。

バスターミナルで仮眠。

そんなもんだよ、旅なんて。

さらにティカル遺跡の最寄の町、フローレスへのバスを待つ。
これもすんなり出発。
あ~~っという間にフローレス到着ですね。

バスを降りると、橋から日の出がめっちゃくちゃキレイ。
朝日ってこんなにきれいだったけぇ~
すばらしい朝日。
ちょッと感動。
そして、ランニングしてる白人が多数。
まさに保養地って感じだった。

安宿の集まる、ミラフローレスに移動。
宿はすぐに見つかった。
バス、トイレつきで70Q。高いけど・・・まぁいっか。

旅行会社に行くと、
「ティカル遺跡送迎 65Q フローレス→パレンケシャトルが360Q」
「でーートータル300Q」

う~~ん。バッチリだな。コイツ知ってるな!

ってことで即決。
高いか安いかはアナタ次第。
他のブログとか見て見れ。

ってことであっという間にティカルに移動。

ちなみにティカルってのはティカル遺跡のこと。
簡単に箇条書きで説明すると

  • 世界に20数個しかない複合遺産の一つ
  • 中米で繁栄してたマヤ文明の遺跡の代表格
  • ジャングルの中に遺跡がある。
の3点。
もっと知りたい方はこちら→wikipedia ティカル遺跡

ガイドはなしのはずだったが、最初の1時間だけガイドが付いてくれた。

ここティカル遺跡は本当にジャングルの中にある。
大きな道だけ辿って行っても十分楽しんだけど、ガイドがいると森の中の抜け道とか通ったり猿とか鳥とか見れたり、結構面白い。
もちろん説明も。
今回マヤについて新しく知ったこともあった。
こっちも箇条書きで披露
  • 2012年12月22日に世界が滅ぶのではなくて、新しい世界が始まるだけ
  • マヤには5つの時代があって一つあたり5200年。今は5つ目の水の時代。次は0に戻り最初の”女性の時代”になる。
  • その時代の順番は、「女性」、「なんだか忘れた」、「空気」、「火」、「水」の順番。
  • マヤの暦では12月21日が大晦日。
  • ティカル遺跡周辺の土はいいから100年くらいでジャングルができあがる。
これくらい。
英語で聞いたから正確ではないかもしれないけど、俺はこういう風に受け取った。

ガイドが終ったあとは、自由行動。
もちろん俺は、ティカルで一番大きい4号神殿へ。
遠くに遺跡が見える!

登るのが意外にキツクない。もっと大変だと思ったのに。

上からの風景は一面のジャングルだった。
しかし、ポツポツとティカルの遺跡の高い建物がジャングルから頭を出してる。

う~~ん。壮大。

人間の力の大きさと、それをはるかに上回る自然の力。

あ、こんなこと前も書いたな。
そうだ、マチュピチュの時だ。あれも複合遺産。
複合遺産ってすごいなぁ。

人間の力と、自然の力を教えてくれる。

ティカルを思いっきり堪能し、フローレスの街へ帰還。
ここには「すいか」という日本料理店があるということで行ってみたが、閉まってた。
あれはシエスタとかじゃなくて、閉まってる。

結局夜ご飯はバーガーキングで済ませて就寝。。。
明日は5時発だ!

2011年2月1日火曜日

チチカステナンゴ

いまだにシェラ滞在中。
はい。10日目ですね。
見事に、年末ぶりの沈没。

先週の日曜日は宿泊者総勢10名でチチカステナンゴに遠征。

ちなみに、チチカステナンゴってのはちょっと遠い街なんだけど、日曜市が有名。

朝7時過ぎにシェラを出発し、10時過ぎには到着。

近い!

いや、そうでもない。

バスが到着して、降りたらすぐに市場。
色とりどりの布(?)がたくさん!
インディヘナですね。はい。

最初に集合場所を決め、みんな散り散りに。

俺とKさんが最初に向かった先は・・・

もちろんご飯ですね。
まぁ、いつもの食堂街みたいなところを歩き、同じものしかないのを確認し

鳥。

これが意外にうまい!
ほっぺは到底落ちないくらいうまい。

お腹一杯になった一向は。

広場で休憩!

ついでについてきただけの俺は本当に暇だったなぁ。
確かに市場の様子が見れたのは良かったんだけど、それにしても人多すぎる。。。

みんなに
「東京出身のお前がなに言ってるんだ!」
と怒られましたが、東京人は基本人ごみ苦手だよ。大晦日の上野とか嫌いだよ。あんなの・・・・

言うのやめときます。

ほとんどの時間を俺は広場での休憩に費やし、シェラに帰還。

まぁ。。。

楽しかったよ。

2011年1月29日土曜日

手紙

タフムルコ登山から早一週間経過。

そして、未だに

シェラ滞在中・・・

いつまでいるのだろう。
というか、明日には出たいなぁ。

このシェラという街。
特に見所は・・・

ない!

まぁそんなもんだよね。
だってサンクリだってそこまで見所なかったし。

そして、今日は日本の友達(住所をもらった人)に手紙を書いた。
全部で22枚・・・・
今まで3ヶ月貯めてたツケですね。

別に義務ってわけでもない。
送らなくても誰にも文句言われない。
ケド
やっぱり住所聞いたからにはみんなに送りたかった。
一応みんなに一回は送ったけど、最後に一斉送信(←メールじゃない)したかった。
餞別をくれた人もいたし、
出国ギリギリで会えなかった人もいる。

なんでここまでサボってたんだろう。

海外から日本に手紙なんてもう出せないかもしれないのに・・・・

ってことで3時間かけて22枚手紙書きました。

明日、一斉送信。
今まで送ったのは全部届いたから、今回も届くといいな

2011年1月25日火曜日

中米最高峰「タフムルコ」part2

ガイドの声で目が覚める。
寝たときより広くなっている感じがしたのは、俺とは反対側にみんなが寄ってたからだった。

テントから出るとめちゃくちゃ寒い。
本当に寒い。
どれくらいかっていうと・・・・

ボードで深雪に突っ込んで出るのが面倒くさくなって10分いたら寒くなってきた

ってくらい。(←わかんねーよ)

寝起き早々、全員持ってきた防寒具でフル装備にし、ご来光のため山頂へ!

キャンプ地から山頂までは高度さはたった200m弱。
しかしここは4000mの高地。
そんな軽がる行くはずもなく、10分ごとに休憩は必至だった。
それに加え、道が悪い!
ここまではトレッキングって感じだったのに、ここからは山登りって感じ。
わかるかなぁ?この違い・・・・

登り始めて20分くらいたって段々東(と思われる方向)が明るくなってきた。

こっちの探検隊も山頂に到着。
先客が3名ほどいたが、まだまだ日の出には時間がある。
ちょっとかっこつけてみた。
みんな思い思いに撮影会開始!
が、
これが寒い寒い。
キャンプ地でも十分寒かったのに、山頂は風まで吹いて寒い寒い。
どれくらい寒いかっていうと
ボードでゲレンデに着いたときに東京と同じ格好でゲレンデに飛び出してみたはいいものの・・・
長い!
ってことで省きます。

ガイドのサウーロくんが気が利いて、こんな高い所までココア(?)を運んできてくれて、あっためてくれた。

マジうれしい。


幸せ。


この一杯で世界がすくえる。(かも)

そしてだんだん明るくなってきて・・・・・
雲海からあがった太陽!「タイヨウ!!」byサウーロ
日の出!!

雲のうえから見る日の出ってすごくきれいなことに気がついた。
てか人生初めて雲海からあがる太陽を見た。
これは・・・・
見たほうがいい。
ちょっと時間作って、グアテマラまでくれば1泊2日で見れるから。
てかアジアでも見れるかも。

別に強制でもなんでもないけどね、
なんだか俺の好きな人にはみんな体験してほしいって思うな。

もうすっかり明るくなるまで山頂で撮影大会をして、下山。
キャンプ地に着くと、サウーロが朝ごはんを作ってくれた。

THE・ホットミルクコーンフレーク

うん。
いいんだよ、その心意気。大好きだよ。

でもさ、

「ミルクが暖かくて、コーンフレークがフニャフニャだし、それに甘過ぎるんだよーーー」

って思ったけど、

「おいしい」

とひとこと。伝えておいた。
無理してるんじゃないよ、これがねガテ風なんだって。
だからしょうがないよね。
でもおいしかったよサウーロ。

馬も到着し、みんなの荷物を預け、本当の下山開始。

のぼりとは打って変わって皆元気。俺も元気。
全然息も切れない。けど足は疲れる。

ポンポンとリズムよく降りていたらいつの間にか登山口に到着してしまった。
あの雲がかかってるところから降りてきた。
1:30で1000mを下山。
なんだか空気がおいしい感じがしたなぁ。

そして、バスを乗り継ぎシェラ到着!

「家に帰るまでが遠足」方式で、無事

「タフムルコトレッキング!」

は終了。
久しぶりのアクティビティだったなぁ。

本当に行って良かった。
行く前は、ボリビアの山と比べて低いなぁとか思ったけど、そんなの全然関係なかった。
やっぱり自然は偉大だったし、厳しかった。
なめてかからなかったのが唯一の救いだったなぁ。

またどっかでアクティビティしよう。

中米最高峰「タフムルコ」part1

え~まだシェラですね。はい。
もう1,2泊で次!とか無理だわ。

あれは3日前中庭的なところで髪の毛をそめていると

「明日タフムルコっていう中米最高峰の山行くけどいく?」

との誘いに二つ返事で参加が決まった。
その日のうちに水やら手袋やら買い出しに行き準備を整えた。
ちなみに、
俺今ショッピングバッグで旅してるので、バックパックはサンクリから一緒のKさんに借りることに。


持ち物一覧
着替え(下着プラスTシャツ)
ズボン下&ズボン 
パーカー 
ウインドブレーカー
バックパック 
懐中電灯 

え?何か?


まぁこんな感じで準備完了!

出発当日は5:30起床。
少し興奮しすぎて2時に起きてしまったのは良いとして(その後ちゃっかり寝た)
本当に
眠い。
朝早ぇよ~~

シェラからその登山口まではバスを乗り継いで2、3時間で到着。

その地点で標高3000mです。
ちなみに頂上は4200mくらいです。

わー富士山より大きいー
とかいっても雪が降らないから全然きつくない。
さらに俺はボリビアで3000m以上の高地に1ヶ月くらいいたから高山病の心配もなし!
ということで自信満々で登頂開始!

出だしは順調。
みんなも順調。
あ、今回は5人の日本人の1人のグアテマラ人ガイドの計6人パーチー。
しかも、馬を一頭雇ったので荷物がすごく少ない!
のぼりなんて自分の荷物は水くらい。
最高だね。うん。

昼食を取ったら少しからだが重くなってきた。
う~ん。どうしたんだろう。。。。

さらに登っていくと明らかに息が苦しい。
そんなはずじゃ、そんなはずじゃなかったのに。

みんなもその辺になると、「ハーハー」言ってる。
最後のほうは10mごとくらいに休憩を挟み、キャンプ地に到着。
そんなに暗くなってなくて、ちょうどよかったよ。

ガイドのサウールは山にまき取りに。
日本人たちは松の木を焚き火ように切り刻んでいました。
サウールが戻ってくるとすぐに火をおこしてくれてこれが暖かいんだ。最高。

で、
日本人たちが暖まってる間に、夜食完成!
ちょっとしたスープと
ちょっとしたパスタ(長いやつじゃなくて丸っこいの)

う~~~ん。
うまい。
山の上だとおいしさ1.5倍。
みんなで食べると1.5倍
足して3倍。←計算間違いは指摘しないで。

あたりが真っ暗になって、空を見てみると・・・

満天の星空!
本当に君の声が響いても良いようなきれいな夜だった。←歌詞引用。

日本でも星見れるのかなぁ・・・・・見たいな。

さぁ、テントで寝るぞー
と思ったら、なんと!3人用のテントに5人で寝ることに。
もうみんなでキツキツ
でもみんないるから寒くない!

最初は本当に狭かったのに、寝てるうちにだんだん広くなってくる。
ラッキーとか思ってたけど、翌朝聞いてみたら逆側の人は、だんだん狭くなってたらしくて、全然練れなかったんだってー
ごめんなさい。

ちょっと長くなったので、続きはまた後で!

2011年1月21日金曜日

どーしようもない再会

現在地 シェラ(グアテマラ共和国)

ん?

ん?

え?

って思った読者さんありがとう。
そうです、俺こんなところに

いるはずないんです。(爆)

ことの発端は、サンパウロからメキシコシティに着いた翌日。
facebookをいじっていると
「今サンクリにいるからきなよ!」
(↑サンクリというのは・・・サンクリストバルラスカサスのこと)
という誘いが。

某三郎さんですね。はい。

迷った挙句
「行く!そして1泊で戻ってくる!」
とほとんどの荷物をアミーゴに置いて出発してかれこれ一週間。

ん?

そうここでおかしくなった。
2ヶ月ぶりにみんなに会うと楽しくて楽しくてもうヤバイ。

ペンソノでも楽しかったけど、こっちも楽しい!
しかも今回はアミーゴから強制連行してきたコンちゃんも加わり、強力メンバーでお送りしちゃったからもう帰れない。

「あー帰らなきゃ、でも帰りたくない」
「なら、帰らなきゃいい。」
「うん。でもモンテレーの約束がある」
「じゃあ伸ばせばいい」
「うん。」

ここで旅延長は決定。

こっからどこに向かうか迷った迷った。
三日三晩迷った。

そしてグアテマラに決定したわけですね。

なんでかっていうと、

一緒に行く人がいたから!

それだけ。
そうだよ、俺の旅なんていつだって人しだい!
そもそもこの旅だって人に会いに来たわけだしねー

ってことで、自分のPCをもってきてないから、更新は不定期ですよー

でもインドの時よりは書くよ、ジュン君。

2011年1月14日金曜日

南米脱出の道のり。part2

二回に分けてすいません。

でー
昨日の続きから

~~
順調順調♪

11:55pm発 サンパウロ→メキシコシティ

を狙う。
到着時刻は2:00pm。

こりゃいけるな。
俺の持ってる航空券について
俺の持ってる航空券はAEROMEXICOの従業員が友達にあげられるチケット。
かなり格安なのだが!
キャンセル待ちでしか搭乗できない。
ってことで早めに空港に到着したわけ。

しかし、メキシコシティではいつでもWaiting Listに名前載せてもらえるんだけど、
「この空港ではフライトの3時間前からだから!!」
って従業員に言われたのでひたすら待つ。
ハウル見ながら待つ。
AKBのPV見て待つ。
寝て待つ。(←果報じゃない)


そして待ちに待った3時間前の1時間前。
そのカウンターに到着すると、すでに先客が9人。
う~~ん、微妙だ。
このチケットを使うテクニックとしてはWaiting Listの一番上に載らなくてはいけないんだよね。

正直・・・ヤバイ。

前の人まではその場でチケットを渡されたのに、俺は
「フライト1時間前に空きがあったら名前を呼ぶ」
とだけ言われ、そっから不安な2時間。

ここはAKBのPVローテーション。ヘビーローテーション!

ついに来ました1時間前。
数人呼ばれる・・・・

「ナーダ」

・・ん?
ナ、ナーダ?

脳内辞書を開くでもなく理解した。

「席ないよ」

あーーー最悪。
全然順調じゃねぇ。じゃねぇ。じゃねぇーーーー

もう空港泊だな。と心に決めた。
そのとき

「ナオーーヤ、qytgbんgt」(後半聞き取れない)

ん?
俺?俺の名前じゃん!

すでにフライト40分前。
なぜか俺だけ空港使用料を払わされ、(国籍によって違うみたい。)
イミグレを烈火の如く通り過ぎ、
ゲートに着いたときには、
ゲートがあいたばっかり。

よーーし。
順調順調♪

飛行機に乗り込み、ギリギリにもらったチケットの座席に着くと・・・

先客あり。

・・・ん?
セン・・・キャク・・・だと・・・?

はい。混乱。
添乗員さえ混乱。
さらに同じ座席のチケットを持った人1名追加。

は?
大混乱。
「ごめんなさい」とか言われるくらい大混乱。

最終的に

「ジャポネース、ナオヤ」

ってトランシーバーから聞こえてきて、俺がその席に座ることに。
先客のおっさんはビジネス席に。
追加のおっさんはイッコ前の席に。

各自納まり。
ついに!

出発!!!!!

さよなら南米。ありがとう南米。素敵な出会いの宝庫でした!

2011年1月13日木曜日

南米脱出の道のり。part1

彼是2週間もいたペンション園田を、仲間のバッパー約10人とともに脱出。

まず、こっから始まったよね、脱出作戦。

題して

「南米ありがとう!でも君は十分、だから脱出作戦!」

この作戦が始まったのは1月8日くらい。
それまで毎日「明日でる」と唱えてた呪文がそろそろ現実味が出てきたのがそれくらい。

みんなを無理やり誘って、一人では出れないペンション園田を脱出することを計画。
コーラとマナちゃん
俺「いつ出るんですか?」
トモさん「明後日くらいかな・・・?」
リョウさん「明後日くらいかな・・・?」
マナさん「明後日くらいかな・・・?」
タラ夫「う~んあと1週間くらいかな?」

うん。
全員明後日出発だな!(←ツッコミはコメント欄で)

それから2日後。

上記の3人が「明日だな!」

ん・・・ペンソノパワー恐るべし・・・

そんで次の日。

出発(ヤッホー)

実を言うとあの門を出るまでまさか本当に出れるとは思ってなかったなぁ。
みんながアスンシオン行きのバス(俺と反対方向)に向かった時は本当に寂しかった。
もしタカさんいなかったら泣いてたな。確実に。

エステのバスターミナルに到着し、5社目のバス会社でサンパウロ行きを発見!
うん、順調順調♪

バスも大して遅れずサンパウロに到着。

「サンパウロ洪水だよ~」
とか言われたけど、全然。カラッカラ。

直で空港に向かう。
地下鉄の駅で「歩き方」を見ていると、一人の男性が向かってくる。
「おい!どこいきたいんだ?」
「空港に・・・」
「よし!待ってろ!」
5分後
全部行き方教えてくれた。

やさすぃぃぃぃ!
やっぱり旅は人だよね。

順調順調♪

2011年1月10日月曜日

年越しメンバーの紹介!

年越しメンバーの仲間”トモ”さんが俺を含め年越しメンバーの紹介をしてくれましたー

トモさんブログ、年越しメンバーの紹介

俺もマネしてみようかな・・・・
でも写真ないからあれだけどーやってみよー

  • 料理人Rさん夫婦
  • 酒のみだけど、楽しいIさん夫婦
  • そんなに前線で勝負しないけど意外にアグレッシブ、Tさん
  • ゆっくり話すのに笑いのネタ満載のRさん
  • 世界のチャリダー、NHKのチャリダーTちゃん
  • 完全なる夜型人間Mちゃん
  • ダンディズムなら旅人最強(?)Nさん
-----ここからスタッフ
  • 髪の毛長いとその歳には見えない。A君。(卓球うますぎ)
  • オーナーのHさん ときどき経営者の顔、大体男の顔
  • 奥さんのMさん。すごくすごく優しい顔をしてんだよなぁ・・・良いお母さんになるぞ
今思い出せるのはこれくらいかなぁ・・・
俺は俺で、トモさんとは違ったみんなの思い出がたくさん。
もう一回会いたい!てかこのメンバーで会いたい!って思う。

いいパーティだったよ。みんな

良い旅しようね!

I was thinking in United States of America

そろそろ旅の終焉もみえてきた。

久しぶりに自分が送信したメールを見てると面白いメールが出てきて、みんなに話すと

「それ!ブログにアップしなよ!」

って展開になったので、少しだけ編集して、掲載しようと思う。


これは2010年9月中旬から下旬にロサンゼルス及びアメリカ合衆国西海岸を訪れ、思い考えた記録です。
そして、これは筆者の独断と偏見をタンマリと含んだ文章だから、あんまり過激反応しないように。

※この文章に基づいて読者の方に損害が応じた場合、筆者は一切の責任を負わないことを同意の上読んでください。


さぁ。
行きましょー
正直に感じた、アメリカ文化。


全然飾らないアメリカ、如いてはカリフォルニア及び近隣州についての考察を。
  1. 薄いです。アメリカ文化。
  2. 不便です。車がないと。
  3. ジャンキー過ぎます。アメリカ食
  4. ここの公用語は英語ですか?では俺は英語がしゃべれないんですか?
  5. 雄大すぎます。大自然!
  6. なんと一人旅に向いていないところなんだろう
以上6点に集約されますね。

まず「1.薄いです。アメリカ文化」
ロスに到着し友人が、車で迎えに来てくれて友人宅まで町を走ったんだけど、そのときは「うわ~アメリカ~映画で見たとおり~」って思った。
でも3日もいると、どの建物も同じに見えてくる。
どのレストランも同じものを出してるように見えてくる。
それはアメリカが世界の経済大国でアメリカ資本が俺たちの生活に根付きすぎてるからかも知れない。
だってアメリカにあるもののほとんどって日本でも見れるでしょ?
一部に関してはもう俺らの生活じゃん。マクドナルドとかKFCとか
これは文化の濃いインドから来たのもあるかもしれない。それでもあまりに薄味すぎると思った。
いい意味で捉えればこれが多人種国家たるゆえんであるのかもしれない。
ベースが薄いからその上に簡単に住むことができ、尚且つ自国の文化を保つことができる。
こんなことをしているのに、こんな広い国が一つにまとまってるのが不思議でしょうがない。

「2.不便です。車がないと。」
バスが全然こない!てか定刻なんてあったもんじゃないし。それなら最初から時刻表を作るな!時刻表なんて作るから遅れるとかいう概念ができてしまう。
あと、バスに乗るとちょうどで払わないとおつりをくれない!
事実一回1ドルのバスに5ドルで乗らされた。
インドやタイでさえおつりを渡してくれるのに、大いにぼってくれた。

「3.ジャンキー過ぎます。アメリカ食」
これは一見悪く見えますが、俺ほめてます。
ハンバーガーうまい!てかIN-n-OUT最高。
(IN-n-OUTはアメリカ・カルフォルニア州を中心に営業してるハンバーガー屋)
あとマクドナルドは普通って意味がすごくわかる。あれは普通。
あとね、俺が嬉しかったのはほとんどの店でドリンク飲み放題!あれはアメリカだな~って思った。
日本じゃありえないもんね。
と、同時にイートインのときにLサイズを頼むのはバカだなと思った。
友人宅の近くにマクドナルドがあるんだけど、いつも2杯飲んで帰るときに満タンにして家に持ち帰る。
あれ最高!
あとハーゲンダッツ食べたよ。日本と同じ値段で2倍以上食べられた。あのむかつくくらいの甘さがなんともいい!
そしてピザ。
これも最高!安いし食べやすいし。でもイタリア人に「アメリカのピザうまいです」ってメールしたら「イタリアのほうがうまいです」って返ってきた。「I agree」って送っておいた(笑)

「4.ここの公用語は英語ですか?では俺は英語がしゃべれないんですか?」
なんであんなにみんな早くしゃべるの?
全く聞き取れない。単語をちょいちょいわかるんだけど、それでも文の意味がわかるほどではないんだよね。何度言ったことか「I don't speak ENGLISH」と
あとジェスチャー少ない。俺の身振り手振りは理解してくれるのに、向こうは早口英語でまくし立ててきやがる。たまにイラつく。たまに悔しい。たまに悲しい。
何度も聞きなおしてやっと通じたと思って「I speak English not well」って言ってやったら「そんなことないよ~」とか抜かしやがる。テメェ。
ごめん。書いててなんだか笑えてきた。愚痴ってごめんね。

「5.雄大すぎます。大自然!」
これはそのまんま。
アジアとか比べもんにならんよ。でかすぎる。スケールがハンパないな~っていつも思う。

「6.なんと一人旅に向いていないところなんだろう。」
車がないのも関係してくるんだけど、まず見所が遠い!
自然とかやっぱりみたいじゃん?そうするとツアーになるけど、ツアー高いからダメだし。結局市内観光をすることになる。
で、どこにいくか。
ロスって言ったら、ディズニーランドとかユニバーサルスタジオ。
あとラスベガスとかサンフランシスコ。
なんかどこも一人で行ってもなんも楽しくない!
「あーあれ見たことある!」「えっ?どれどれ~」
うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんな会話が町中から聞こえてくるのになんで一人でいられようか
そもそもディズニーとか一人で行くもんじゃねぇし。

アメリカはやっぱりツアーで来る国だったよ。
バックパッカーとして行って楽しい国、楽しくない国ってあるのかもしれないって思う。
かといって楽しんでないわけでもないけど。
友人に国立公園連れて行ってもらったりしてるわけだし。難しいところだ。


今読んでも、かなりいいところ見れていると思う。
アメリカって言う国を、単純に

「うわーすごいなーこの国」

だけ以外に見れたことはバックパッカーとして、訪問してよかったと思う。

今回こういう風に考えさせてくれるチャンスをくれた、ロサンゼルスのアスカさんと、インドで会ったジュンくんに感謝します。

2011年1月9日日曜日

イグアス移住地ってところ。

新年もとっくの前に明けて、未だにダラダラ過ごしている・・・・

まぁダラダラって言っても本当に泥のようにしてるわけではなく。

結構アクティブに。
飲んでます。

確実に酒強くなってる。
昨日なんて9時から飲み初めて3時くらいまで飲んでたぁ
量で言うと、3Lと2カンくらい。うん。かなり飲める口になってきてる~

最高。

でー
昨日髪の毛染めてみたー
第二弾!!

今回もオレンジ色にしてみた。
うん。
してみた。


今回は前回の半分くらいしか髪の毛がないから、全然わからない。
やっぱり色染めたほうが似合うよな・・・
いやぁね、ちょっと迷ってるんです。

日本でもやろうかと。

(お母さんごめんなさい。尾久村に入れないかも。)
空が青いでしょー

その話は置いておいて、
昨夜はみんなで焼き鳥!

すげぇ楽しかった。
しかも、俺の独壇場。

桜島の話とか、
佐倉の話とか、
みんなの地元の話を3時間ほど。

もう毎日毎日飲んで飲んで楽しいなぁーーー
チャリダータラちゃんのブログ

公園の入り口に鳥居。


ところで。
やっぱりサンパウロに行くことが決定。そしてサンパウロからメヒコに戻ります。

では、みなさん。

旅の終焉へ

2011年1月6日木曜日

トランプ

年越しイベントが終了して、ダラダラと過ごす日々を送っています。

漫画も結構人気。
でー
毎日毎日、やることねぇ。
というか

誰もやること探してないのがいけないんだけどね。

大体
午後1時 起床(理由は後ほど)
午後2時 昼ごはん
午後4時 トランプ
午後6時 ビール買出し&飲み始める。
午後8時 夜ごはん
こっから
朝まで



(大体午前5時くらいまで)

これを年始からひたすら続けてるわけです。はい。

「お前旅してんじゃねぇーのかよ!」とか
お叱りは・・・・コメント欄へ・・・・(本当にあったら落ち込むよ。)

ここで!
今回はこの日々の大事なパート

トランプ

を紹介しようかな。

今パラグアイ、イグアス移住区「ペンション園田」で大好評のカードゲーム。

「ナポレオン」

これは・・・結構難しいですよ。
簡単に、簡単に、簡素にいうと!

みんなでカードを出して、一番強い人が絵柄をゲットするって言うゲーム。
それで一定枚数(最初に決める)を集めた人が勝ちっていう。
でその一定枚数ってのは、親と副官合計枚数で・・・

まぁ説明してもなんなんで、ググってください。
(↑なげやりね。)

これがすんげぇ楽しい!
もう毎日熱戦ですよ。というか、毎回熱戦。
たまにそれで朝まで過ごしちゃったり、過ごさなかったり・・・・

んで!
今日はプロの料理人リョウさんによってパスタを振舞われましたー

リョウさんはいつも料理作ってくれてるんだけど、それが毎回全部うまいんだ。
この宿にみんながダラダラいる一因だと思う。

・・・・うん、絶対に!

そのリョウさんが一番の得意料理”パスタ”を作ってもらった。
その完成品がこちら。
「ちょっと和風パスタ」 価格1300円

もうやばい。
めちゃくちゃおいしい!
店で出せるよ。ってくらいおいしい!

みんなで相談した結果。

「ちょっと和風パスタ」は
1300円に決定。

はい、拍手。 パチパチ





あーでれねぇ・・・・

2011年1月3日月曜日

年越しだよ!

※今回も写真なしです。みなさんすいません。
リンク先には写真があります。時間があるときに見てみてください。
一緒に年越ししたトモさんのブログ

クリスマスにペンション園田に到着。

年越しに向け、段々人が増えてきた。

そして!
12月31日。
ついに大晦日!

この日をここで過ごすために集まった人々。
そりゃね、朝から起きてますよ!



俺は30日から”朝まで”起きてたため、もう眠い眠い。
時差の関係であのNHK紅白歌合戦が朝7時からの放送。
それにあわせみんなも起きてきた。

うん。AKBまでは記憶があった。

その辺から記憶が飛び飛びになってきた。

でも
「トイレの神様」はよかったなぁ~
本当に。
九州のじいちゃんに会いたくなった。
塞翁が馬だよね、じいちゃん。

日本の年越しに向け、料理人のリョウさんが年越しそばを作ってくれた。

なんて、日本なんだ!
ここは日本かぁ!って突っ込むほど、日本人&日本食の宝庫だった。

そっから、眠気には勝てず、爆睡。
俺が寝てる間に、もちつきやったらしい。

でも・・・・

俺小学生のとき、警察で毎年餅つきしてたから大して珍しくないんだな。

でも。。。。

起きた時おいしいお餅が食べれた時は、本当に

「ここ来て良かったー」

って思った。
やっぱり正月は餅だよね!年越しそばだよね!

夜には、ここの移住区で年越し花火やるらしく、みんなで出陣!

最初に手持ち花火で遊んだあと、カウントダウン。

3、2、1・・・・

ハッピーニューイヤー!!

ドーン、どーん

と特大花火があがる。
そりゃね、東京湾花火大会とかと比べれば小さいよ。
でもね、でもここは南米。
そこでこんなに大きな花火が見れるなんて・・・
感動。感謝。感激。

そっからダンスパーティ。
すげぇー楽しかった。

でも、俺の役割は最初にみんなを乗せること。
だから長続きはせず、撃沈。(=吐いた)

正月ぐらい騒いだっていいでしょ!