2010年7月7日水曜日

宗教観


未だにバンコクにいます!

インドビザが次の金曜日に下りるから、次の週末あたりにコルカタへ。
インドがどんどん近づいてきます。

インドに呼ばれてるのかな?ちゃんと行けるかな?

さて、今日は(も)暇だったので、たまにはガッツリ観光もいいかなってことで、

王宮→ワットスタット→ワットスラケッ

に行って来ました!

たった三つかよって思った皆さん。
俺もそう思います。

ザザーッっと振り返ってみると、
王宮はスケール満点、ヨーロッパのスケールに匹敵するインパクト。
ワットスタットは普通のお寺?ってくらい寂れてる
ワットスラケッはバンコクの要塞。バンコクの街が一望できる展望台(的な寺院)がよかった。
まぁ、こんな感じ。


このなかでもワットスラケッってのが俺は気に入った。
展望台みたいなところに行くと、風が気持ちいいし眺めも良い。
久しぶりに1時間もボ~っとしてた。
ルアンパバーン(プーシーの丘)以来かな?

そんなわけで寺でぼ~っとしてたんだけど、寺にはタイの人がたくさん。
みんな花とか線香とかロウソクとか持ってる。
タイは仏教が本当に浸透してるんだな~って思った。

こないだも、友人の友人が食事に誘ってくれて、食事の前に彼女がお参りに行った。
それは結婚の神様らしくて、彼女はそこにお願いして見事願いが叶い、日本人と結婚できて来年来日するらしい。
それのお礼参りでバラ100本(!!)を買ってお供えしてた。

俺は内心「神様ががんばったんじゃなくて、自分ががんばったから願いが叶ったんだから自分にご褒美あげればいいじゃん」とか思ってた。

今日もそう。
タイの人が1500円もするお供え物を買って坊さんにお経唱えてもらってる。

なんでだろう?
なんでみんなお寺に来て、お金払ってお願いしてるんだろう。

そんなことを1時間ぼ~っとしながら考えてた。

最初は
1.ものごとって運もあるからその人の行動しだいだろう。だって、病気の人が寺で神様にいくらお願いしてても、治療しなきゃ病気は治らないだろう。
2.実は出国前友達と宗教の話をじっくりしたことがあって、そのときに「神様って自分の心の一部だよな」って言われたのを思い出す。
3.ここですべてがつながる。

神様って”自分自身”なんだって思った。
宗教ってそれを具現化する一種の手段であって、自分のほかに神様がいてその人に願いを叶えてもらうように頼むんじゃなくて、自分が願いを叶えるために頑張れるように、自分に祈ってるんじゃないかってこと。
でも露骨に自分を崇高したらただのナルシストになる。
だから宗教はあるんだな。
俺は宗教を随分深いもので、あんまり触れちゃいけないもんだと思ってたけど、宗教なんてみんなが首に付けてるネックレスと同じようなもんだ。
すごいブランドもの(世界三大宗教)もあれば自分だけのものもある。たまには偽物やボッタクリのもの(金だけ巻き上げる新興宗教)もある。
自分を表現する一種の手段なんだな。

だから自分の信じてる宗教を否定されると人は怒るんだ。
だって自分を否定されてるのだから、そりゃ怒るわ。
寺側もそれをサポートしてお金もらってるわけだ。
デカイ寺院とかも、車のCMと一緒で
「こんなに大きなお寺を建ててるところであなたは祈ってますよ~」
的なことをアピールしたいと結論付けた。

寺も神社もモスクも教会も立派な理由が自分のなかで見つかってなんだか清清しい気持ちになった。

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