2010年6月30日水曜日

アンコールワット


ついにアンコールワットへ。

東南アジア最大級の観光地。
そして、俺にとっては東南アジア旅行のクライマックス。
アンコールワットを見たらバンコクへ戻りインドへ。
そして俺の東南アジアエリアの旅は終わる。

シェムリには昨日(29日)に到着。

到着早々日本人宿”タケオ”に直行。
ここタケオ日本人バックパッカーにはあまりにも有名。
日本人に会いたければタケオへ
会いたくなければタケオ以外へ
それくらい日本人ばっかり。

確かにタケオは日本人ばっかりだった。
数え切れないほど、大体10人くらいいるかな?
宿の中も日本語ばっかり。
一瞬日本に帰ったみたいに錯覚する。

そして待ち待ったアンコールワットへ。

朝6時くらいから行こうと思ったら起床したら9時。
まぁ9時でも早いほうなんだけど。

そこからアンコールワットへ自転車へ。
この選択ある意味チャレンジだった。
アンコールワットってかなり広くて普通はトゥクトゥク(東南アジア特有のタクシー)とかで回るんだけど、前日に
「自転車で回るの相当キツイよ。日差しも強いし」
まぁでも自転車好きの俺には恐れるものじゃない。

で早速アンコールワットへ。
アンコールワット前まで行って検札があった。
「券見せて」
「俺入場券持ってないよ」
「じゃあ買ってきて。」
「どこで?」
「ここから街の方に3KM行ったところ」

はい!?ここまで5キロくらいだったのに3キロも戻るの?
でもそこでしかチケットは買えないらしくてそこまで戻った。

カンボジアはタイより高いけど、一泊2ドルとかで泊まれる宿がある。
”なのに!”入場料は一日20ドル。
マジふざけんな。

どんだけ観光客の足元みてんだよ。

まぁ払わないと永遠に入れないわけで、もちろん払った。

そしてついにアンコールワット入場!

一言
「すごい」

圧巻ってほどじゃないけど、歴史というか、なんというか。
人間の力もすごい!って思ったけど、自然の力もすごいかった。

アンコールワットって遺跡群になってて、その中心がアンコールワットなだけ。

そしてその遺跡群もすごい!

建物が木に飲み込まれてたり、より凝った遺跡があってそっちもすごかった!

6時間くらい回って、尻が痛い。
疲れはしないけど、尻が痛かった~

途中係員が日本語しゃべれる。

「券見セテネ~カッコイイネ」
かっこいいねって誰から教わったんだ?
おもしろいからいいけど。

でもアンコールワットもっとはまると思ったら、そうでもない。

今日アンコールワット、バイヨン含む主要な遺跡6個くらい見に行ったんだけど、他には特に興味ないし、見た感じ俺がすでに行った所と同じ感じだったので明後日にはシェムリを後にすることにした。


明日はシェムリの街をフラフラ。
明後日にはインドビザ申請だー

2010年6月28日月曜日

バンコク

言わずと知れたバックパッカーの聖地「カオサン通り」がある

バンコク。

東南アジアを旅してきてすごく思うのが、バンコクが東南アジアの中心だってこと。

中国で会った東南アジアを回ってきた旅人は全員バンコクを経由してる。
もちろん東南アジアを旅してる人はバンコクから来たまたはバンコクへこれから行こうとしている。

なぜか?
自分なりに考えてみた。

極東(中国、日本)からインド、中東さらにはヨーロッパに抜けるルートは限られている。
チベットを通るか、飛行機を使うか。
なぜならミャンマーが陸路で抜けられないからだ。
チベットを抜ける場合も手続きが煩雑だったり、値段が高かったりする。
しかしバンコクまでくれば航空券が安い上に本数もたくさんある。

だから旅人が集まって
旅人が過ごしやすい町になって
旅人が集まる。

いい循環ができてるんだな。

さてここバンコク。

なんで着いたばかりでこんなに興奮してるかというと。

自分のなかで序盤のゴールだから。

今回の旅はやっぱり長いからいくつかの目標を作っていて、その中でも友達と会うのを区切りにしてる。
東京~バンコク 序盤 姉の友達にお世話になる
バンコク~ティファナ 中盤 パリで知り合ったメキシコ人の元へ
ティファナ~マニコレ 終盤 ブラジル留学中の友達のところへ
マニコレ~東京 ロスタイム 家へ

もう4分の1終わったんだな~って思うとやっぱり時間ってあんまりないのかもって思ったりする。

明日はシェムリ行きのバス探しへカオサンに行ってくる。
あ~楽しみ。

2010年6月27日日曜日

アユタヤー遺跡

今日は10時に起床し、アユタヤー遺跡観光へ。

まず、隣の店で自転車をレンタル。30B。
向かいの店で水購入。5B。

一路遺跡へ。

昨日下見しておいたからすぐに到着。
もちろん昨日入ったところはパス。

最初に木の一部になってしまった仏像がある遺跡へ。

う~ん確かに埋まってた。
でもなんかインパクトがない。

そうそう、インパクトがないんだよな~

スコータイもそうだったけど、俺ってデカイものが好きで、なんか東南アジアの観光地って日本の観光地と似ていてすごくこじんまりしてる。
中国ってスケール第一、クオリティはその後的な感じがしてデカイもの好きの俺は良かった。

遺跡ってどこも似ているように思う。
特にタイ国内ではほとんど変わらないんじゃないんだろうか。
この時代まで残ってるってことはそれは石かレンガでできてるんだけど。
俺の中では最強のレンガと石の遺跡っていうと”コロッセオ”なんだよね。

あれはすごかったな。
初めて二回も入った観光地だったし。

レンガでできてるアユタヤーやスコータイはどうしても”コロッセオ”と比べてしまう。

今まで桂林とハロン湾とバンビエンは別物って考えられたのに。。。。
人間の考えって不思議だな。

まぁ、そんなこと考えつつ一応有名なところは行っておいた。
けど全部で3時間くらいで観光は終えてご飯食べて2時にはホテルに帰還。

別に急いだわけじゃないし、見たいところは俺なりにじっくり見たからそれでいい。

これからバンコクに向かいま~す!

2010年6月26日土曜日

アーユーターヤー

悪夢の(そういえばハノイでも言ってたなwww)スコータイから無事脱出。

トゥクトゥクも意外に普通の値段でバスターミナルまで行ってくれるというサービス付き。

アユタヤー行きのバスは212B。
違う会社もあったけど、時間が遅いし高かったから公営のバスにした。

アユタヤーまでは大体6時間で到着。
歩き方に書いてあったとおり高速道路の脇に下ろされる。

目の前にはTESCO。
そしてソンテオ。

トゥクトゥクを完全無視し、ソンテオへ。



「アユタヤー駅前まで行くか?」
「あっちのやつに乗れ」

なんで聞いたやつには乗せてもらえないんだろうと一抹の不安を抱え乗車。

すでに9割方人は乗ってた。

そして出発。


このソンテオ変な道通るし、隣の人に
「アユタヤー駅までどれくらい距離があるの?」
って聞いたら
「・・・・(指を折って数えてる)Three hundred」

は?
300キロ?300分?300なんだ?
でも300って何にしてもあるよな~
とにかく300メートルじゃない。
だって話してる間に300メートルなんてとおに過ぎてる。

やばい。
俺あんま金ないから払えないかも・・・

まぁいいやって思ってその人と話してたら目の前に座ってた中学生も会話に参加。

「ゲストハウス探してるなら、連れてってあげる。」

マジ神。

まさか中学生に助けてもらえるとは。
こんなことあるんだな。

ちなみに駅前通ったけど、駅がしょぼすぎた。
あれじゃ駅前に下りてもなんもできなかったと思う。

二人の中学生に言われソンテオを降りお金を払おうとしたら
「7Bだけど私たちが払っておくからいいよ」

どんだけいい教育してんだ。この国は。
思い出すだけで涙がでてきそうだ。

もちろんゲストハウスまで連れてってもらった。

別れ際に自分が持っていた本を俺に渡し
「I give you. It's daily」

なんて優しい子達だったんだ。
日本で外人見つけたら負けないようにがんばろう。

一緒に来た宿もシングル100B(WIFI無料)と予算内。
隣の店でレンタサイクルもできるので即決。

今日は夕方少しだけ遺跡に行った。
スコータイよりいいかもって思った。

明日は一日楽しむぞー

2010年6月25日金曜日

信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい



現在スコータイ滞在二日目。

翌朝9時のバスでアユタヤに抜ける予定。

ここスコータイ。はっきり言ってずいぶん小さい町。
遺跡しか見所ないし、遺跡に興味ある人なら別だろうけど、普通に半日もあればそれも見終わる。
と言って他の町へのアクセスも悪い。
とまぁなんとも言いがたい町。

今回泊まった宿は一泊150B実質WIFI使い放題。

でここで幸か不幸か出会いが。

そいつは自称56歳。
若いころはパナソニックで働いてたらしいドイツ人。

この人が俺に積極的に話してきた。
曰くクレジットの期限が切れてしまって、金がなくて今金を払わないと日曜日まで野宿しなくてはいけないらしい。

そこで俺に白羽の矢が立った。

「俺はパタヤーの近くに住んでる」
「来週そこに来てくれたら金も返すし、何日でも泊まっていい。」

彼の額にはすごい汗。

「君に金を貸してもらえなかったら警察に行かなくてはいけない。」

ついにかわいそうになってきた俺は
金を貸してしまった。

その額。なんと

1500B(約4500円)

勉強料だと思って金をドブに捨ててみた。

絶対返ってこない。
それは重々承知だよ。

でもあそこで渡さなかったらこれからずっと気になってただろうな~

まぁ金が返って来るのが一番なんだけど、そんな望みを持つのはやめる。

「信じられぬと嘆くより人を信じて傷つくほう」

が精神的に楽なんだってことに気づいた一件だった。

出会い

トレッキングも終わって、チェンマイ市内をフラフラしてた。

特に行くところもないので、観光地(と言っても寺くらいしかない)でも行こうかとか考えてた。

最終的に中国以来行ってないマクドナルドに行くことにした。

「海外来てマックかよ」

そういわれるだろうけど、日本食が手軽に食べれないこの時代。
日本で食べてたものを食べれるとしたらそういうチェーン店しかない。

少し心躍りながらマックへ向かっていると・・・・

遠くにどこかで見た顔が・・・


近くに来て確信した。
ラオスで10日間ガッツリ一緒だったオナガくんではないか!!


あまりに早い再開に戸惑いながらもとても嬉しかった。

旅をしているとこういうことが間々ある。
しかしどうしても会いたいって人に必ず会えるわけでもない。
でも約束してないのに何度も会う人もいる。

俺にとってオナガくんはそんな存在になりそうだ。

その後彼と一緒にイングランド戦(サッカー)を観戦してるイングランド人を見に行った。
やつらのサッカーにかける情熱と言ったら。
筆舌しがたい限りなので、チャンスがあればイギリスに行って見て。
本当にすごいから。


彼とは
「またインドで!!」
と言い合って夜に別れた。

翌朝。
俺はスコータイ行きのバスに乗るために歩いていた。
そしてメインゲートを通ったあと

「ぴゅ~~」

口笛の音が。

振り向くとトゥクトゥクに乗った彼がいた。

彼とは縁を感じた。


次会える日を楽しみにしよう。

2010年6月24日木曜日

トレッキング


全然回らないで選んだトレッキング。

若干の不安を残して出発。

まず、首長族の村へ。
確かに首長族はいたんだけど、なんか全く生活感がない。
ただのアミューズメントパークみたいだった。
しかも首が長いのって女の人だけで、男はその辺で寝てるだけ。
もうダメ野郎の集まりだったな。

場所を移動して象に乗りに行った。
なぜか俺は椅子じゃなく首に乗せられ象のよだれをたっぷり浴びせられた。
というのも、この象は頭がよくて背中に乗ってる俺ら人間がえさ(バナナを買わされる)を持ってることを知ってて鼻を背中に乗せてくる。
そのたびに首に乗ってる俺はよだれを浴びなくちゃいけなくてもうそれはそれは。
まぁみなさんが想像してるほど大量じゃなかったからよかった。

そのあとはひたすら山登り。
到着した時には一人残らずばててたな。

夜は星をみよう!と思ってたのに、あいにくの雨。
泊まった場所は電気がないからロウソクの明かりでみんなでトランプをした。
結構盛り上がったな~
メンバーはイギリス人5人、ドイツ人2人、ニュージーランド人2人と俺。
会話についていくのが精一杯だった。
英語力付けたいな~って改めて思った。

二日目はひたすら山歩き。
二つほど滝を見るために休憩したりした。

この日の宿も電気なし。
しかもまた曇ってて星もなし。

でもサプライズが!
なんと蛍が見れた。
東京に住む俺としては蛍を見るのは久しぶりすぎて少し興奮した。

あとで沖縄出身の友達にこの話をしたら
「蛍って珍しいの?」

うわ~
環境の違い怖いな。

三日目はラフティングへ。
ラフティング中イギリス人たちが騒いでて何事かと聞いてみると
「あそこに野生の象がいるのよ。見えない?」

残念ながら見えません。めがねがないから。

野生の象ってすげぇなって思いながら急流くだりも終わった。

最後にチップをせびられることもなく。
途中でオプション料金をとられることもなく。

最初に抱いた不安はすべて杞憂に終わった。

旅行者に戻ってきたら、
「うちの二階に無料で泊まっていいよ」

え!?マジ?

2010年6月21日月曜日

チェンマイ

今日の午後チェンマイ(タイ)に到着。

ラオス最後の滞在地ルアンパバーンから約18時間。
意外に快適な移動だった。
ラオス国内はVIPバスだったし、タイ国内はミニバンだったが冷房も効いていて良かった。

俺はまだ宿探しが苦手だ。
パリで5時間バックパックを背負って町中を歩き回ったとき、泊まる宿がないんじゃないかって言うあの不安に襲われてからいつも予約するようにしていた。

しかし東南アジアで安く旅行するにはその方法は適さない。

これはラオスで共に行動した日本人の言葉だが
「インターネットで予約できるということは、ある程度設備が整っている」
「一泊300円程度のゲストハウスは一回の予約取り消しが命取りになる」

実際、ラオスの首都ヴィエンチャンにいつも俺が利用する「Hostelworld」で予約できるホステルは3つだけだったが、ゲストハウスは中心部にたくさんあった。

すなわち、これからバックパッカーとして旅していくには「宿探し」は避けて通れないのだ。

そして今回到着したチェンマイ。
タイ北部の町として有名だ。
そしてタイはゲストハウスがたくさんあることでも有名である。

タイで宿が探せない=どこでも探せない

という式が俺のなかで自動的に成り立った。

そしてチェンマイ到着。
ミニバンは路地裏のホテルの前に停車。

もちろんそのホテルの人が出てきて勧誘してくる。
今日の目標は
ドミは80B以下
シングルは100以下

地図もろくに見なくても宿探しはできた。
なぜならひとつの路地にたくさん宿があるからだ。

確かにタイにはたくさんゲストハウスがあった。
これなら俺にもできる!という自信さえついてきた。

7~8軒回ったところで100Bのシングルのホステルを発見。
部屋も決してきれいとは言えないが汚くないし、トイレも一応自動水洗。
WIFIも部屋で使い放題で今まで泊まった宿の中で一番コストパフォーマンスいいかも。


チェンマイはトレッキングが有名ってことで明日にでも行きたい俺は早速近くの旅行会社へ。
特に勧誘もしてこなくて、店先で飯食ってたおっちゃんを捕まえて話を聞いた。

ちゃんとパンフレットとかも用意されてて
「T.I.C」っていうツアー会社らしい。
そのおっちゃんは仕切りにそれをアピールしてた。

あとでネットで調べたらちゃんとした会社だった。

まぁ、そのときからなんとなくここでいいかもって思った俺は特に他と比べもせずにそこにしてしまった。

値段は歩き方に乗ってた相場の下限。

これで普通のツアーだったら万々歳だな。

明日を楽しみにして今日は寝ることにしよう。

2010年6月18日金曜日

良い出会い、良い別れ

バンビエンから”世界遺産”の町 ルアンパバーンに滞在中。

全く町全体が世界遺産って感じがしない・・・・
ヴィエンチャンと大して変わらないような。

ここにはバンビエンから日本語をしゃぺる人8人で行動してた。

そのうち2人はラオス沈没者でもうラオスのガイドできるくらい。
一人はルアンパバーン出身のラオス人で、ラオス回るにはこれ以上ないってくらいベストメンバーだった。

みんないい人で、乗りも結構みんな一緒で。
バンビエンとルアンパバーンでいろんなところに泳ぎに行ったり、
全員でラオラオでつぶれたり。

日本にいる友達と変わらない、本当に楽しい日々だった。

確かに一人旅のコンセプトからはかけ離れた時間だった。

宿も全然探さない。
移動手段も探さない。
一人でいる時間が極端に少ない。
飯はいつも誰かと一緒。

でも
一人旅だけど、やっぱり仲間がいると心強かったし、楽しかった。

今日バンビエンから一緒に行動してきた8人のうちの2人がバンコクに向かった。

いつも別れはつらいけど、今日も本当につらかった。
でも俺らはみんな一人旅中で全員と同じところに向かうこともないわけで。

「また会おう」

その一言がみんなの合言葉。

今回”良い出会い”ができたから。

”良い別れ”で締められました。

2010年6月16日水曜日

バンビエンでのあれこれ

ラオス入りしてから全くネットが使えず、本日ラオス6日目。

ガイドブックもなにも持ち合わせていない俺は、ラオスの首都ヴィエンチャンに着く早々バスで出会った韓国人についていって韓国人宿に宿泊。

ここヴィエンチャン日本人が多い。
ハノイでは全然見かけなかったのに、ここでは日本人ばっかり。

そんなこと考えながら歩いてたら、噴水近くで暇してる同世代の日本人に話しかけたのが、すべての始まり。

彼らも同じ東南アジアを旅行してる人で、そのあと別の日本人と合流して晩御飯へ。
やっぱりいい日本人とご飯食べると楽しい!
そのあともいろいろ話して、宿に戻ろうとしたら、ラオス人(日本語ぺらぺら)とも出会った。


翌日。
朝7時くらいに下に降りて行くとバンビエンに行くという日本人が。

もう勢い任せで出発!

バンビエンまでのバスはオンボロバスで途中でマフラーがぶっ壊れて捨てていく始末。
もうすごいね、ラオスタイルだよ。

バンビエンでは、チュービングってのがあって、ただ浮き輪に乗って河に流されるだけなんだけど。
それがもう。
楽しくて楽しくて。
飛び込みとかもあって日本人8人で行ったんだけど、夏休みの感じで楽しかったな~

翌日にはバイクで山の方に行ったり。

こんな体験絶対できないな。
今回会った日本人には感謝感謝!

あと、日本対カメルーン戦を日本人で集まって観戦。
全部で15人くらいいてマジ興奮した!

やっぱりみんなで見ると楽しいね~

今ルアンパバーンにいて、これからチェンマイ→バンコクと抜ける予定。

ラオス来て良かった。

2010年6月9日水曜日

ラオス行き決定~~♪

未だに悪夢のハノイに滞在中。

同室の日本人がめちゃくちゃムカつく話し方をして、今日はさすがに反論してみた。

だって
「中国人が粗野だから嫌い。」とか
「ハノイは町がきれいだよね」とか
「原発があるから中国怖いんだよ」とか。

じゃあなんであんたここにいるんだよ?
さっさと帰れよ。
と思ったら

「俺今遺産相続が・・・」

あ、現実逃避中ね。
なら仕方ない。

みんないろいろ問題は抱えてるもんだよね~


愚痴はこれくらいにして。

なんと
な、な、なんと!


「ラオス行き決定!」


ベトナムはあまりにも悪い思い出しかないので、早く気持ちを切り替えたくてラオス行くことにした~
だって中国であった日本人が
ラオスいいらしいよ~ってみんな言ってたし!
どうにかして行こうかなって思ってたところだから~
あと昨日日本人にホーチミンの退屈さをチラッと教えてもらったから
でもガイドブックとかなくて大丈夫かな?
どうにかなるかな?

当初の予定とは大分変わってきますが、思いっきり楽しんでくる!

ちなみに、ベトナムの地球の歩き方はビリビリに破ってハノイの町に捨ててきた!
あ~いい気持ちだった!

ベトナムはまた今度、弾丸ツアーで来よう。この国飛行機使えば3日で十分。

2010年6月8日火曜日

ハノイ

今ベトナムの首都ハノイにいます。

まず悪いニュースから。
昨日町を歩いてるときに、カメラをすられました(泣)
幸い写真は毎日バックアップを撮っていてその日も大して写真を撮ってなかったのでよかったんですが・・・

まぁ、いっかと。
今からあれこれ考えてもなにも変わらないし。
そもそも壊れかけてたし。
液晶もヒビ入ってたし、写真撮るとたまに影入るし。

そろそろ新しいの買おう!と思ってた時期だったのでなんか諦めがつきました。

で、盗難保険に入ってないので警察行ってもただの時間の無駄なので・・・
盗られた30分後にはまったく同じ機種の新しいのを買ってた。

304USD=大体27000円くらい。

日本から送るのとか考えたら妥当かなと思ったんで、即買い。
カメラ買うまでは
「日本に帰ろうかな・・・」
って思ってたんですが!
カメラ買ってかなり気分転換になって、よかったかも。

でも未だにベトナム人に近づかれると嫌な気持ちになる。
だからもうハノイだけにしてラオスに抜けようかな・・・
あ~もうヤダヤダヤダ!!


と、話は変わって。
今日はハノイの近くの世界遺産ハロン湾に行ってきました。
朝8時発夜8時着。
一日ツアーだった。

金のない俺はもちろん日本語のツアーなんかには参加できず、片言しかわからない俺が英語ツアー参加です。
マジ毎回思うけど、英語力なくても英語ツアーに参加しなくてはいけないときがくるんだなって。
これからもっと英語勉強すれば、別に日本語とか気にしなくてもよくなるかなって。
どうかな??

内容は結構楽しかった!
なんて素晴らしいツアーってほどじゃないけど。

まずバラック船みたいな観光船に乗って沖合いへ。
なんか山がたくさんあって面白かったな~~

船の中で日本語ツアーの人々とも会ってかなりたくさん話した!
俺は22USDだったんだけど、日本語だと48USDだったんだって。

高いね日本語は。

だってさそもそも何でみんな言語を習う?

第三位 友達がそこの国の人だから。
第二位 周りの人がその言葉を使う人だから
第一位 金になるから

日本語学ぶ理由なんて全部第一位だろ。
だって日本語って日本でしか使われてないんだよ?
日本人って1億人ちょっとでそのうち25%くらいは高齢者だから、もしこれから使うとしたら7500万人くらいだよ?

そりゃ日本語ツアーが高いはずだ。

って勝手に脳内処理。

我々日本人は物価の高い国に住んでるんだから、旅行も他の国の人に比べれば高くなるのは当たり前だね。

って安いツアーにばっかり参加する日本人(←俺のこと)が考えてみました。

ツアーが終わりハノイに帰ってくるときに日本人のおっちゃんとたくさん話した!
いろいろ興味深かった!
本当に毎日毎日勉強だよ。

2010年6月7日月曜日

中国終わって

まず、なんで今頃更新なのかの説明を

5月9日に中国入って大変な事実が発覚。それは

「googleが中国国内全土でアク禁」

はい!?
前に聞いたことあったけど、マジだったんだ。

中国ってそういう国なのね。ってすごく思った。

もう全部書くとずいぶん長くなるので、ちょちょっと復習を。

まず上海上陸。
船旅が意外に面白すぎて「上海着かないでくれ~」とか思ったり思わなかったり。
万博は人が多すぎて、日本館や中国館はパス。話題の北朝鮮館は行きました。
感想は・・・高校生の文化祭の出し物程度かな。

上海が終わってまず南京へ。
このとき「硬座」ってのに座って一番安い電車で行ったのが災難の始まり。
まず中国人の皆々さま。
俺が中国語わからないのに中国語でしか話してこない。
あの好奇心どこからくんの?知りたいな。
そして到着時刻が0:44+宿の予約なし。
でも中国人の若夫婦が助けてくれてなんとか宿は発見できた。
次の日は南京虐殺博物館へ。
政治利用されてるって少し思ったり、でも同じ日本人が虐殺した事実にちょっと動揺したり。

昔の首都(南京)から現在の首都(北京)へ
このときはソフトなシートで向った。しっかり寝れて到着も朝。でも高かったかも。
北京の宿は最高だった。
日本語しゃべれるスタッフいるってことで行ったんだけど、日本語しゃべれるスタッフはもちろん日本語しゃべれる客までそろってた。
そして中でも最高の思い出だったのは、そこのスタッフの人(女性)とご飯に行ったこと!
いや~楽しかった。
なんか現地人じゃないといかなそうなところに連れてってくれて本当にいい体験でした!
また会いたいな~~~
ちなみに万里の長城も行きました。

その次はさらに古い都西安(長安)へ。
ここは街中に城壁が残っているという歴史をかもし出すいい町。
俺好きだったな。
あとユースで同室になったイギリス人二人が仏だった。
その他数人と兵馬俑へ。
なんか疲れててあんまり楽しめなかったな。あれは俺が悪い。

そして西安から成都へ。
パンダ。見ませんでした。動物園嫌いなので。
成都のハイライトはやっぱりキュウザイゴウ。(すいません漢字はセルフで調べてください。)
世界遺産なんだけど、めっちゃきれいでした!
一緒に行った日本人2人もいい人だった~彼らはチベットに向かうんだって。すごいね。

成都の後は桂林へ~
桂林は山水画の風景で有名なんですが、山水画の風景がすごかったね。
うん。すごかった。本当にあるんだね、あういうところ。
現地で日本語堪能なメキシコ人と英語が堪能なロシア人3人に出会う。
ロシア人はニューヨークに住んでるらしく、今後の予定が大きく狂うかもしれませんね。

そこから小さい町を経由して中国最後の町南寧へ。
なんもなかったけど、ホテルが貸切+友達の家みたいな雰囲気で最高だった!
もう1日いてもよかったかも~

そして人生初の陸路での国境越え。
緊張したけど、まったく問題なく。てか船とか飛行機と大して変わんないな。

こうして俺の中国旅行1ヶ月は終った。
歴史についてとか考えてた時期もあったけど、トータル楽しかった!


またいきたいな~